
作文部門1
<金賞>
「わたしたちの大和川」
堺市立登美丘西小学校3年
ぼくはあびこのおばあちゃんの家に行く時、いつも大和川にかかっている橋をわたります。大和川に来るといつもお母さんが、
「この川をこえると大阪市よ。」
と言います。
だからぼくは、大和川は大阪市と堺市を区切っている短い川なんだとずっと思っていました。
ところが、大和川はならぼん地を流れる157もの支流をあつめて、大阪わんへ流れている川だとさい近知りました。
それがなぜわかったかと言うと、8月27日(日)にお母さんと「大和川じょう化しせつたいけんツアー」にさんかして、大和川の事を色々勉強して来たからです。
大和川はお母さんが子どものころは、川に足をつけたり、魚つりができたりカモメがいたりしたそうですが、今は、魚がすんでいそうでもないし、足をつけたりする気にもならないほどとてもきたない川のように思えます。
お母さんは、あぶらはもちろん、食べのこしたしる物はキッチンペーパーですいとってからあらったりはい水口の水切りネットを二枚かさねにしたりかんきょうにやさしいせっけんを使ったりしています。
それは、川や海のよごれがとてもひどくて、子どものころたのしくあそんだ川や海で今、自分の子どもたちがあそべない事がとてもざんねんでたまらないからだそうです。
それを聞いて、ぼくにもできるかんたんなことから一つずつじっ行する事にしました。
まず、食べのこしやのみのこしをしないことから始めようと思っています。ぼくにはこんなことくらいしかできませんが一人一人が川の事を考えて何か一つでもじっ行していけばきっと大和川はきれいになると思います。バードウォッチングや、魚がいっぱいつれる川に早くなってほしいです。
<金賞>
「大和川の風景」
堺市立旭中学校3年
大和川は、水質汚染などが問題になっていたりして、決して「きれいな川」とは言えないが、なぜか私はその風景を見るとほっとする。遠方からの帰り、電車の窓から見える大和川の風景は私の心のふるさととも言える。見る方向は西側、遠くに海、いつも夕暮れ時。でも季節によって、時間によって、天候によって、いろいろな色に染まる。向こうに見える煙突までもが美しく輝いている。
近景もまた楽しい。釣りをする人、犬の散歩をする人、ゴルフの練習をしているおじさん、遊ぶ子供たち。そういえば私も小さい頃、小春日和のある日、この川辺で遊んだ事がある。
大和川の風景、遠くに出かけた時ほど、疲れていればいるほど、この風景を見るとほっとする。
これから何度こんな風な思いで通るのだろう。大人になればなるほど、この思いは強くなるような気がする。
いつまでも変わらない風景で、私の帰りを迎えてほしい。
大和川は、水質汚染などが問題になっていたりして、決して「きれいな川」とは言えないが、なぜか私はその風景を見るとほっとする。遠方からの帰り、電車の窓から見える大和川の風景は私の心のふるさととも言える。見る方向は西側、遠くに海、いつも夕暮れ時。でも季節によって、時間によって、天候によって、いろいろな色に染まる。向こうに見える煙突までもが美しく輝いている。
近景もまた楽しい。釣りをする人、犬の散歩をする人、ゴルフの練習をしているおじさん、遊ぶ子供たち。そういえば私も小さい頃、小春日和のある日、この川辺で遊んだ事がある。
大和川の風景、遠くに出かけた時ほど、疲れていればいるほど、この風景を見るとほっとする。
これから何度こんな風な思いで通るのだろう。大人になればなるほど、この思いは強くなるような気がする。
いつまでも変わらない風景で、私の帰りを迎えてほしい。
<金賞>
「きれいな川」
奈良市立伏見南小学校3年
「川」という言葉を聞くと、まっ先に思い出すのは、近くの川です。
橋をわたる前から、すごいにおいです。川をのぞくと、まるでコールタールのようで、はきそうになります。私はそこを通るたびにとてもいやな気もちになって、おちこんでしまいます。私にとって、「川」はくさくてきたない、いやなものでした。
夏休みに、ママが「ぼくらのカッパ教室」につれて行ってくれました。私は、川の中にはいると聞いて、「ゲッ」と思いました。ママは、小さい時よく川で魚をとったと言いましたが、しんじられませんでした。私は心の中で、きもち悪いなあと心ぱいして、前の日はあまりねむれませんでした。
ところが、バスでつれて行ってくれた山の中の川は、とてもすきとおっていてキラキラ光っていました。私ははだしになって川の中にはいり、さわガニや水かまきりやカエルをむ中でつかまえました。あめんぼはたくさんいたけど、ずばしっこくてなかなかつかまりません。何回もやって、やっとこつがわかりました。顔を水めんの近くにもっていくと、いろいろな生き物がいることがわかりました。私は時間がたつのもわすれて、生き物をとることにねっ中しました。
そのあと、バスでおなじ川の下流へいきました。町の中にあるその川は、私がよく見るよごれた川でした。先生が、私たちが食べのこした物やせんざいや油が川をきたなくしていると教えてくれました。
あんなにきれいな川が、どんどんよごれてこんなになるのかと思うと、本とうにがっかりでした。私はさわガニをとったきれいな川のことをわすれず、自分にできることをして少しでもきれいな川をとりもどせるよう、気をつけたいと思いました。
「川」という言葉を聞くと、まっ先に思い出すのは、近くの川です。
橋をわたる前から、すごいにおいです。川をのぞくと、まるでコールタールのようで、はきそうになります。私はそこを通るたびにとてもいやな気もちになって、おちこんでしまいます。私にとって、「川」はくさくてきたない、いやなものでした。
夏休みに、ママが「ぼくらのカッパ教室」につれて行ってくれました。私は、川の中にはいると聞いて、「ゲッ」と思いました。ママは、小さい時よく川で魚をとったと言いましたが、しんじられませんでした。私は心の中で、きもち悪いなあと心ぱいして、前の日はあまりねむれませんでした。
ところが、バスでつれて行ってくれた山の中の川は、とてもすきとおっていてキラキラ光っていました。私ははだしになって川の中にはいり、さわガニや水かまきりやカエルをむ中でつかまえました。あめんぼはたくさんいたけど、ずばしっこくてなかなかつかまりません。何回もやって、やっとこつがわかりました。顔を水めんの近くにもっていくと、いろいろな生き物がいることがわかりました。私は時間がたつのもわすれて、生き物をとることにねっ中しました。
そのあと、バスでおなじ川の下流へいきました。町の中にあるその川は、私がよく見るよごれた川でした。先生が、私たちが食べのこした物やせんざいや油が川をきたなくしていると教えてくれました。
あんなにきれいな川が、どんどんよごれてこんなになるのかと思うと、本とうにがっかりでした。私はさわガニをとったきれいな川のことをわすれず、自分にできることをして少しでもきれいな川をとりもどせるよう、気をつけたいと思いました。
<金賞>
「大和川を美しく」
王寺町立王寺小学校3年
夏休みに、ふる川と、もものおのたきへ行きました。たきは、とてもすずしくて、水がキラキラと光っていました。ふる川は、大和川のし流だと聞いたので、王寺町からかわい町→川西町→天理と大和川ぞいに、行きました。かわい町のあたりの大和川に来ると、白い鳥や、茶色いカモのような鳥がいました。たきでは、地元の小学生が絵をかいていて、その子たちは絵の具でよごれた水を、川に流さず土にしみこませていたので、川を大切にしているのだなあと思いました。
わたしは、絵をかきおわった子たちと水をかけあったり、いっしょにたきにのぼったりしました。はだしでたきをのぼると、水しぶきで体がいたいし、足がすべるので、そんなに上のほうまでのぼれませんでした。
ふる川には、すな地と水が流れているさかい目に、たくさんのさわがにがいました。家にもって帰りたかったけれど、お父さんが、
「自ぜんのものは、自ぜんの中においてあげないといけない。」
と、言うのでにがしてやりました。
大和川たんけんたいにさんかした時、さわがにのいる川の水はとてもきれいだということを教えてもらいました。
大和川のし流には、こんなにきれいな川もあったのだなあと思いました。
わたしは、王寺町を流れる大和川の水も、ふる川の上流のように、きれいになれば、魚や鳥やホタルなどがたくさんすめるようになると思います。
わたしは、そが川じょう化しせつを見学して生活はい水が、川の水をよごす原いんになることがわかったので、食べ物をのこさないようにしようと思います。お母さんには、お米のとぎじるは木や花にあげてちょうだいとたのみました。みんなが、水をよごさないようにして、美しい大和川にしたいです。
夏休みに、ふる川と、もものおのたきへ行きました。たきは、とてもすずしくて、水がキラキラと光っていました。ふる川は、大和川のし流だと聞いたので、王寺町からかわい町→川西町→天理と大和川ぞいに、行きました。かわい町のあたりの大和川に来ると、白い鳥や、茶色いカモのような鳥がいました。たきでは、地元の小学生が絵をかいていて、その子たちは絵の具でよごれた水を、川に流さず土にしみこませていたので、川を大切にしているのだなあと思いました。
わたしは、絵をかきおわった子たちと水をかけあったり、いっしょにたきにのぼったりしました。はだしでたきをのぼると、水しぶきで体がいたいし、足がすべるので、そんなに上のほうまでのぼれませんでした。
ふる川には、すな地と水が流れているさかい目に、たくさんのさわがにがいました。家にもって帰りたかったけれど、お父さんが、
「自ぜんのものは、自ぜんの中においてあげないといけない。」
と、言うのでにがしてやりました。
大和川たんけんたいにさんかした時、さわがにのいる川の水はとてもきれいだということを教えてもらいました。
大和川のし流には、こんなにきれいな川もあったのだなあと思いました。
わたしは、王寺町を流れる大和川の水も、ふる川の上流のように、きれいになれば、魚や鳥やホタルなどがたくさんすめるようになると思います。
わたしは、そが川じょう化しせつを見学して生活はい水が、川の水をよごす原いんになることがわかったので、食べ物をのこさないようにしようと思います。お母さんには、お米のとぎじるは木や花にあげてちょうだいとたのみました。みんなが、水をよごさないようにして、美しい大和川にしたいです。
<銀賞>
「少しずつでも続けたい」
大阪市立鷹合小学校5年
五月に、大和川の近くにある浅香山浄水場にツツジを見に行った。道を間違ってしまし、川の向こうのつつじを目の前にしてこのままでは大和川をこえられないことに気がついた。橋を渡るためには、東に向かって大和川沿いに自転車を走らせた。その年、大和川は一級河川で汚さが全国一位だった。大和川の横を自転車で走っていったが、思ったほど汚くなかった。川原で野球をやっている人もいた。
ジョギングをしている人もいた。この川のどこが汚いんだろうと思った。ひょっとして橋の上から見るからきれいに見えるだけなのか。それから数ヶ月後、大和川の汚さが全国で二位になったと新聞で見た。最下位のタイガースが五位を目標にがんばっている様な感じだ。
この川の汚さの原因は、工場排水よりも、家庭排水だ。洗濯をした後の水も、お米を研いだ時のとぎ汁も川を汚す原因になっている。子どもだからぼくたち関係ないわではなくて、ぼくたちがちょっとずつでもできることはないだろうかと考えていこうと思った。そういう思いから、ぼくと家族が続けて実行していることがある。本当にちょっとしたことだ。食器やおなべなどの油汚れを電話帳で拭くこと。そして、母やぼくが毛糸で編んだアクリルたわしで食器を洗っていることだ。アクリルたわしは、洗剤がいらないので、これだけでも川の汚染が減らせる。そんなに素晴らしいたわしを家に閉じ込めていてはもったいない。親せきやクラスの友達、新聞で知り合った大人の人たちにも送って使ってもらっている。とても好評を得ているのでこれからもどんどん広げようと思っている。
水は、人間だけでなく魚や鳥、植物などの命あるもの全てを育ててくれている神様のようなものだ。川の汚さで、魚の住む所が追いつめられている。それを何とかしてあげれるのは、ぼくたち人間しかいない。一人一人の努力で、ゆうがで美しい川「大和川」を取り戻そう。
五月に、大和川の近くにある浅香山浄水場にツツジを見に行った。道を間違ってしまし、川の向こうのつつじを目の前にしてこのままでは大和川をこえられないことに気がついた。橋を渡るためには、東に向かって大和川沿いに自転車を走らせた。その年、大和川は一級河川で汚さが全国一位だった。大和川の横を自転車で走っていったが、思ったほど汚くなかった。川原で野球をやっている人もいた。
ジョギングをしている人もいた。この川のどこが汚いんだろうと思った。ひょっとして橋の上から見るからきれいに見えるだけなのか。それから数ヶ月後、大和川の汚さが全国で二位になったと新聞で見た。最下位のタイガースが五位を目標にがんばっている様な感じだ。
この川の汚さの原因は、工場排水よりも、家庭排水だ。洗濯をした後の水も、お米を研いだ時のとぎ汁も川を汚す原因になっている。子どもだからぼくたち関係ないわではなくて、ぼくたちがちょっとずつでもできることはないだろうかと考えていこうと思った。そういう思いから、ぼくと家族が続けて実行していることがある。本当にちょっとしたことだ。食器やおなべなどの油汚れを電話帳で拭くこと。そして、母やぼくが毛糸で編んだアクリルたわしで食器を洗っていることだ。アクリルたわしは、洗剤がいらないので、これだけでも川の汚染が減らせる。そんなに素晴らしいたわしを家に閉じ込めていてはもったいない。親せきやクラスの友達、新聞で知り合った大人の人たちにも送って使ってもらっている。とても好評を得ているのでこれからもどんどん広げようと思っている。
水は、人間だけでなく魚や鳥、植物などの命あるもの全てを育ててくれている神様のようなものだ。川の汚さで、魚の住む所が追いつめられている。それを何とかしてあげれるのは、ぼくたち人間しかいない。一人一人の努力で、ゆうがで美しい川「大和川」を取り戻そう。
<銀賞>
「心のスイッチ」
大阪市立矢田北小学校6年
初めて、大和川を見た時、川というのは、もっときれいで生き物がいっぱい、いるんだと思っていた。けど大和川を見たら、すっごくよごれていて、魚の死体や、あきカン、ビニールぶくろなどがいっぱい浮いていた。家に帰ってお父さんに大和川の様子を話したら、お父さんは、「お父さんが小さかった時は、すごくきれいで、川遊びをよくしたんだよ。」と言っていた。(けど、)信じられなかった。初めは、大和川に機械でも取り付けたらいいのに、と思った。でもその前に自分たちにできるごみ拾いやちょっとした気づかいでもっと大和川はきれいになるんじゃないかな、と思った。大和川に機械を取り付ける前に、自分たちの心に、物や自然を大切にするスイッチを取り付けるのがさきだと思う。大和川に取り付けるには、たくさんの部分が必要だけど、心のスイッチは、勇気とやさしさがあれば、だれでもすぐに取り付けられる。でも、心にスイッチを取り付けても、スイッチを入れなければ、ぜんぜん意味が無いと思う。それに、スイッチをつけれるのは、一人一人が自分で付けなければならない。だから、みんなにこの心のスイッチを付けてほしいと思った。それに、大和川もみんなが協力してきれいにする方がうれしいと思った。そしたら、わたしが大人になった時かおばあさんになった時には、きっとお父さんが言ってた、きれいな川が見れると思う。大和川をこのままほっといて、ずっときたない川のままでおいておくか、それとも、みんなで協力して、きれいな大和川にするか。これはみんなで考えなければならない。だって、一人で考えて、一人で活動するより、みんなで考えて、みんなで活動した方が、大和川をきれいにする力はずっとずっと大きいと思う。
初めて、大和川を見た時、川というのは、もっときれいで生き物がいっぱい、いるんだと思っていた。けど大和川を見たら、すっごくよごれていて、魚の死体や、あきカン、ビニールぶくろなどがいっぱい浮いていた。家に帰ってお父さんに大和川の様子を話したら、お父さんは、「お父さんが小さかった時は、すごくきれいで、川遊びをよくしたんだよ。」と言っていた。(けど、)信じられなかった。初めは、大和川に機械でも取り付けたらいいのに、と思った。でもその前に自分たちにできるごみ拾いやちょっとした気づかいでもっと大和川はきれいになるんじゃないかな、と思った。大和川に機械を取り付ける前に、自分たちの心に、物や自然を大切にするスイッチを取り付けるのがさきだと思う。大和川に取り付けるには、たくさんの部分が必要だけど、心のスイッチは、勇気とやさしさがあれば、だれでもすぐに取り付けられる。でも、心にスイッチを取り付けても、スイッチを入れなければ、ぜんぜん意味が無いと思う。それに、スイッチをつけれるのは、一人一人が自分で付けなければならない。だから、みんなにこの心のスイッチを付けてほしいと思った。それに、大和川もみんなが協力してきれいにする方がうれしいと思った。そしたら、わたしが大人になった時かおばあさんになった時には、きっとお父さんが言ってた、きれいな川が見れると思う。大和川をこのままほっといて、ずっときたない川のままでおいておくか、それとも、みんなで協力して、きれいな大和川にするか。これはみんなで考えなければならない。だって、一人で考えて、一人で活動するより、みんなで考えて、みんなで活動した方が、大和川をきれいにする力はずっとずっと大きいと思う。
<銀賞>
「ぼくたちの大和川」
桜井市立桜井西小学校5年
ぼくは、小学校一年のころから点字にきょう味をもっていた。そんなぼくを知って、この春、お母さんが桜井市の教育委員会がやっているボランティア探検隊に入れてくれた。そこの活動の一つで大和川の清掃に行った。行く前から大和川は(日本一?)汚い川だと聞いていたので、川の水が、きたなくてにごっているだけだと思っていた。行ってみると思っていたどころではなく、めちゃくちゃよごれていた。水の色がどうとかいう問題ではなかった。お菓子のふくろ、あきかん、ペットボトルなんかはあたりまえ、おどろくことにテレビなどの家電製品や自転車やバイクや自動車まですててあった。
信じられなかった。これじゃあ、川じゃなくて、ゴミすて場だ。大和川が泣いていると思った。悲鳴をあげてると思った。これは子供がボランティアで、ゴミひろいするとかいうレベルじゃない、大人がなんとかせんかいと、はらが立って、泣けてきた。ゴミはゴミすて場!!そんなの小学生だって知ってるぞ!!
ぼくはこの日が初めてだったが、僕と同じくらいの男の子(よその町の子)は、お父さんと毎月、大和川のクリーン作戦に来ていると言っていた。他にも、いつもきているボランティアの人が何人もいた。こんなに心がキレイな人もいるのにゴミをすてるいけない人もいる。大和川のよごれは、そんなゴミをすてる人たちの心のよごれだと思う。ぼくのお母さんが、ぼくが小さいころ、「水を大切にしないと川でお魚さんが泣いているよ。」といつも言っていた。きっと大和川でも、めだかやふななどの魚や虫たちやサギなどの鳥や他の動物たちも泣いていると思う。最後に泣くのは人間かも知れない。人間が泣かないためにもぼくたちの大和川は、ぼくたちみんなが守らなきゃいけないと思った。
ぼくは、小学校一年のころから点字にきょう味をもっていた。そんなぼくを知って、この春、お母さんが桜井市の教育委員会がやっているボランティア探検隊に入れてくれた。そこの活動の一つで大和川の清掃に行った。行く前から大和川は(日本一?)汚い川だと聞いていたので、川の水が、きたなくてにごっているだけだと思っていた。行ってみると思っていたどころではなく、めちゃくちゃよごれていた。水の色がどうとかいう問題ではなかった。お菓子のふくろ、あきかん、ペットボトルなんかはあたりまえ、おどろくことにテレビなどの家電製品や自転車やバイクや自動車まですててあった。
信じられなかった。これじゃあ、川じゃなくて、ゴミすて場だ。大和川が泣いていると思った。悲鳴をあげてると思った。これは子供がボランティアで、ゴミひろいするとかいうレベルじゃない、大人がなんとかせんかいと、はらが立って、泣けてきた。ゴミはゴミすて場!!そんなの小学生だって知ってるぞ!!
ぼくはこの日が初めてだったが、僕と同じくらいの男の子(よその町の子)は、お父さんと毎月、大和川のクリーン作戦に来ていると言っていた。他にも、いつもきているボランティアの人が何人もいた。こんなに心がキレイな人もいるのにゴミをすてるいけない人もいる。大和川のよごれは、そんなゴミをすてる人たちの心のよごれだと思う。ぼくのお母さんが、ぼくが小さいころ、「水を大切にしないと川でお魚さんが泣いているよ。」といつも言っていた。きっと大和川でも、めだかやふななどの魚や虫たちやサギなどの鳥や他の動物たちも泣いていると思う。最後に泣くのは人間かも知れない。人間が泣かないためにもぼくたちの大和川は、ぼくたちみんなが守らなきゃいけないと思った。
<銀賞>
「大和川」
河合町立河合第二小学校6年
ぼくは、川の水源地から川といっしょに下っていって水質調査をしました。
まずは、水のわき出ている所を検査をしました。この水は、生水で飲めるほどきれいでサワガミや小魚がたくさんいました。
ぼくは、見た目はきれいだけど本当にきれいなのかと思い薬品(PH・COD・亜硝酸性チッソ・リン酸性リン)で調べようと思いました。
調べた結果、この水はとてもきれいでした。
少し下ると田んぼが見え始めてきました。ここで、2回目の調査をすることにしました。
この水も見た目はきれいでした。
しかし、生物はほとんど見られませんでした。検査の結果COD・亜硝酸性チッソが増えていました。CODなどが増えていたのも生物がいないのも農薬の影響だと思います。
人家がぽつぽつと出てくるとこれまで透明だった水の色が白っぽくなり油膜が張っていました。しかし、小魚などの生物が泳いでいました。CODが少し増えていました。
最後に、大和川の水を検査しました。
PH・COD・亜硝酸性チッソ・リン酸性リン全部が大幅に増えていました。
それに、水の色が緑灰色に変わり下水のようなにおいがしてとてもくさかったです。
また、油膜や発泡、空き缶などのゴミが目立ちました。
生物も、コイ、フナなど汚い水でも住める魚しかいませんでした。
大和川も昔は、すごくきれいだったそうです。ぼくの学校はそんな大和川にもどしたいと思い毎年ゴミ拾いをしたり環境について学んだりしています。
川の水が汚れる原因の一つは、家庭排水です。米のとぎ汁、牛乳の飲み残し、天ぷら油の残りをそのまま流している家も少なくないと思います。
そんな自分一人ぐらいと思う自分勝手な心はいけないと学んできました。
そんな心があるから川がどんどん汚れていきます。
川をできるだけ汚さない様にするには、
・残飯をあまり出さないようにする
・せんざいをたくさん入れない
・川にゴミを捨てない
・米のとぎ汁などは植木にやり生活排水をそのまま川に流さない
・合成せんざいをつかわずに環境を考えた食用油などリサイクルをして作った石けんをつかうようにする
この五つの事に気を付けると川の汚染を防ぐ方法につながると思います。
ぼくは大和川が大好きです。
だからきれいな川にしたいといつも思っています。これは、ぼく一人ではどうする事もできないけれどみんなが協力してくれるとけっして解決できない問題では無いと思っています。
大和川は、大昔からあります。しかし大和川は先祖からもらったものではありません。
子孫に返すものだと思っています。きれいにして返さなければぼく達の子供が迷わくすると思います。だからきれいにした大和川を子孫に返そうと努力します。
ぼくは、川の水源地から川といっしょに下っていって水質調査をしました。
まずは、水のわき出ている所を検査をしました。この水は、生水で飲めるほどきれいでサワガミや小魚がたくさんいました。
ぼくは、見た目はきれいだけど本当にきれいなのかと思い薬品(PH・COD・亜硝酸性チッソ・リン酸性リン)で調べようと思いました。
調べた結果、この水はとてもきれいでした。
少し下ると田んぼが見え始めてきました。ここで、2回目の調査をすることにしました。
この水も見た目はきれいでした。
しかし、生物はほとんど見られませんでした。検査の結果COD・亜硝酸性チッソが増えていました。CODなどが増えていたのも生物がいないのも農薬の影響だと思います。
人家がぽつぽつと出てくるとこれまで透明だった水の色が白っぽくなり油膜が張っていました。しかし、小魚などの生物が泳いでいました。CODが少し増えていました。
最後に、大和川の水を検査しました。
PH・COD・亜硝酸性チッソ・リン酸性リン全部が大幅に増えていました。
それに、水の色が緑灰色に変わり下水のようなにおいがしてとてもくさかったです。
また、油膜や発泡、空き缶などのゴミが目立ちました。
生物も、コイ、フナなど汚い水でも住める魚しかいませんでした。
大和川も昔は、すごくきれいだったそうです。ぼくの学校はそんな大和川にもどしたいと思い毎年ゴミ拾いをしたり環境について学んだりしています。
川の水が汚れる原因の一つは、家庭排水です。米のとぎ汁、牛乳の飲み残し、天ぷら油の残りをそのまま流している家も少なくないと思います。
そんな自分一人ぐらいと思う自分勝手な心はいけないと学んできました。
そんな心があるから川がどんどん汚れていきます。
川をできるだけ汚さない様にするには、
・残飯をあまり出さないようにする
・せんざいをたくさん入れない
・川にゴミを捨てない
・米のとぎ汁などは植木にやり生活排水をそのまま川に流さない
・合成せんざいをつかわずに環境を考えた食用油などリサイクルをして作った石けんをつかうようにする
この五つの事に気を付けると川の汚染を防ぐ方法につながると思います。
ぼくは大和川が大好きです。
だからきれいな川にしたいといつも思っています。これは、ぼく一人ではどうする事もできないけれどみんなが協力してくれるとけっして解決できない問題では無いと思っています。
大和川は、大昔からあります。しかし大和川は先祖からもらったものではありません。
子孫に返すものだと思っています。きれいにして返さなければぼく達の子供が迷わくすると思います。だからきれいにした大和川を子孫に返そうと努力します。
<銅賞>
「わたしのすきな大和川」
大阪市立矢田東小学校3年
大和川の水は、にごったりごみがういたりしている。
わたしが小さいころから花火や、たこあげをしたりしたけど、みずはそのままです。大和川の水がいつまでもきれいでいてほしいな。
ごみがなくて、にごってなくて、魚がいっぱいで、そんな大和川になってほしいな。花や草や小鳥がいて、いつまでもきれいな大和川になってほしい。これからもみんなできょうりょくしていきたいな。
大和川の水は、にごったりごみがういたりしている。
わたしが小さいころから花火や、たこあげをしたりしたけど、みずはそのままです。大和川の水がいつまでもきれいでいてほしいな。
ごみがなくて、にごってなくて、魚がいっぱいで、そんな大和川になってほしいな。花や草や小鳥がいて、いつまでもきれいな大和川になってほしい。これからもみんなできょうりょくしていきたいな。
<銅賞>
「大和川を変えていこう」
堺市立八田荘西小学校5年
私は四年生の時、いちど大和川を見にいったことがありますが、すっかりきたなくなっていました。それに比べて、島根の川は、泳げるようなきれいな川です。どうして、こんなに差があるんでしょうか。
私が思うに、人の多さに関係すると思うんです。都会だと、いろんなお店が多く、その店の商品を買った人がポイ捨てをするからです。
けれど、人が多いということは、川のことを真剣に考える人も多いということです。そういう人を増やしていきたいけど、なかなかむずかしいと思います。でも、できるだけの努力はしなければなりません。でなければ、自然はこわされていくばかりです。
私は、確かに、家やビル、道路やトンネルを作ることは悪いとは思いません。ただ、そこに、わずかでも、川に気を配ってほしいんです。
そういう地道な努力をしていけば、とってもとまではいかないけれど、大和川も、他のすっかりよごれてきたなってしまった川も、また、島根の川のようなきれいな川になると思うんです。
たとえ、ポイ捨てをされても、それを拾ってきれいにしようとする人、そして、ポイ捨てをさせないように呼びかけたり、人の心を動かす力を持つ人が、世の中にはまだまだたくさんいると思うんです。
私達小学生も、ぐずぐずしてはいられません。河原の空きカン・ゴミ拾いや、環境の勉強など、今からいろいろなことにとりくんでいかなければなりません。
私も、いつかきっと、ちょっとでも人の心を動かすことのできる人間になりたいです。そう思っている人がたくさんいるといいな。
(私は、元島根県人なので、『島根』を使いました。)
私は四年生の時、いちど大和川を見にいったことがありますが、すっかりきたなくなっていました。それに比べて、島根の川は、泳げるようなきれいな川です。どうして、こんなに差があるんでしょうか。
私が思うに、人の多さに関係すると思うんです。都会だと、いろんなお店が多く、その店の商品を買った人がポイ捨てをするからです。
けれど、人が多いということは、川のことを真剣に考える人も多いということです。そういう人を増やしていきたいけど、なかなかむずかしいと思います。でも、できるだけの努力はしなければなりません。でなければ、自然はこわされていくばかりです。
私は、確かに、家やビル、道路やトンネルを作ることは悪いとは思いません。ただ、そこに、わずかでも、川に気を配ってほしいんです。
そういう地道な努力をしていけば、とってもとまではいかないけれど、大和川も、他のすっかりよごれてきたなってしまった川も、また、島根の川のようなきれいな川になると思うんです。
たとえ、ポイ捨てをされても、それを拾ってきれいにしようとする人、そして、ポイ捨てをさせないように呼びかけたり、人の心を動かす力を持つ人が、世の中にはまだまだたくさんいると思うんです。
私達小学生も、ぐずぐずしてはいられません。河原の空きカン・ゴミ拾いや、環境の勉強など、今からいろいろなことにとりくんでいかなければなりません。
私も、いつかきっと、ちょっとでも人の心を動かすことのできる人間になりたいです。そう思っている人がたくさんいるといいな。
(私は、元島根県人なので、『島根』を使いました。)