
作文部門2
<銅賞>
「かわいそうなさかな」
かわいそうなさかなになにかしてあげたいのです。大和川には、小さなさかながいっぱいならんでいました。いっぴきだけこけが、からみついていました。つかまえてはしてあげようと思ったらにげてしまいました。かわいそう!!大和川をきれいにしてあげたのです。でもりょうがおおくてとってもとってもすぐ人とこけがちらばすのです。さかなたちは、いつもどのようにくらしているのか、大和川の川にあそびにきているのか。それか大和川にあいさつをしているのか、さかなは、なにをたべているのか。小さな命がかわいそうです。
大和川をきれいにした~い。小さな命がかわいそう。だから小さな命がどれだけきたない水で死んでいるのか、それがかわいそうなさかななんです。
もっと大和川をきれいにしたいです。
<銅賞>
「クリーンな大和川に一歩ずつ」
帝塚山学院小学校5年
金剛山・生駒山・滝畑などを上流とする大和川。金剛山と滝畑方面から流れてくる石川は柏原で大和川と合流している。その石川は私の住む河内長野市を流れていて、市民の春や夏の遊び場としてにぎわっている所だ。めだか・さわがに・おたまじゃくし。子供達はあみを持ってはしゃいでいる。川原ではお母さん達が飯合炊さんやバーベキューの支度でいそがしそう。お父さん達はおかまいなしに宴会を始める。
考えてみると、大和川は私にとってごく身近な存在に思えてきた。
堺市と大阪市の境界に位置する大和川。水はにごっていて、はっきり言って飲む気がしない。金剛登山の時、ひんやりとのどをうるをしてくれるすみきったわき水が源流だなんて想像もつかない。
来る日も、来る日も、激しくたえ間なく流れる大和川。
私が電車で通学していることも、私のいろんな顔も、みんな知っている。今日の給食がカレーだということも。二時間目テストがある、ということも。友達とささいなことでけんかしたことも、帰りに千代田のおばあちゃんの家に行くということも。
大和川は私の心の中を見すかしている。
もし、大和川がとう明でゆったりと流れていたら、私も大和川の心に触れることができるかもしれないのにな。
一歩ずつ、一歩ずつ、近付いていけたらな。
金剛山・生駒山・滝畑などを上流とする大和川。金剛山と滝畑方面から流れてくる石川は柏原で大和川と合流している。その石川は私の住む河内長野市を流れていて、市民の春や夏の遊び場としてにぎわっている所だ。めだか・さわがに・おたまじゃくし。子供達はあみを持ってはしゃいでいる。川原ではお母さん達が飯合炊さんやバーベキューの支度でいそがしそう。お父さん達はおかまいなしに宴会を始める。
考えてみると、大和川は私にとってごく身近な存在に思えてきた。
堺市と大阪市の境界に位置する大和川。水はにごっていて、はっきり言って飲む気がしない。金剛登山の時、ひんやりとのどをうるをしてくれるすみきったわき水が源流だなんて想像もつかない。
来る日も、来る日も、激しくたえ間なく流れる大和川。
私が電車で通学していることも、私のいろんな顔も、みんな知っている。今日の給食がカレーだということも。二時間目テストがある、ということも。友達とささいなことでけんかしたことも、帰りに千代田のおばあちゃんの家に行くということも。
大和川は私の心の中を見すかしている。
もし、大和川がとう明でゆったりと流れていたら、私も大和川の心に触れることができるかもしれないのにな。
一歩ずつ、一歩ずつ、近付いていけたらな。
<銅賞>
「わたしたちの大和川」
大阪市立大和川中学校2年
今、大和川は日本一位、二位を争う汚い川だといわれています。
我家のベランダからは大和川が見えます。でも、汚い川には全く見えません。
私の中学校では、学年ごとに大和川清掃というボランティア活動をします。そこで、大和川はやっぱり汚いんだということに気が付きました。岸には、たくさんの缶等がころがっていました。なぜか、大きなぬいぐるみまでありました。一体、どんな人が何を思ってそんな物を捨てるのでしょう。私にはわかりません。
でも、大和川には鳥がしばしば来ます。真っ白な鳥や、その他のいろいろな種類の鳥も来ます。私が思うに、鳥がやってくるような川ならきれいだと思うのですが。
現実汚い川なら、鳥なんて来ないと思います。でも、他の川がそれだけきれいなんだなと思うと、大和川をもっときれいにしなければいけないんだなぁ、と思います。そして、中学校での行事の一つでもある、大和川清掃をもっともっとがんばろうと思います。今年私の学年では、二学期にあります。だから、今度の清掃の時もがんばりたいです。
それに、私の中学校は大和川中学校という名前です。そんな汚い川で知られている川と同じ名前では、あまり気分がよくありません。昔は、泳げるようなきれいな川だったそうです。
日本一きれいな川になるようにするには、まだまだ時間がいると思うけれど、せめて、昔のように、夏になったら、プールに行かなくても、みんなで楽しく泳げるような、そんな川になるように、私たちはこれからもがんばります。そして、川にゴミを捨てることは、しないように一人一人に協力してほしいです。
今、大和川は日本一位、二位を争う汚い川だといわれています。
我家のベランダからは大和川が見えます。でも、汚い川には全く見えません。
私の中学校では、学年ごとに大和川清掃というボランティア活動をします。そこで、大和川はやっぱり汚いんだということに気が付きました。岸には、たくさんの缶等がころがっていました。なぜか、大きなぬいぐるみまでありました。一体、どんな人が何を思ってそんな物を捨てるのでしょう。私にはわかりません。
でも、大和川には鳥がしばしば来ます。真っ白な鳥や、その他のいろいろな種類の鳥も来ます。私が思うに、鳥がやってくるような川ならきれいだと思うのですが。
現実汚い川なら、鳥なんて来ないと思います。でも、他の川がそれだけきれいなんだなと思うと、大和川をもっときれいにしなければいけないんだなぁ、と思います。そして、中学校での行事の一つでもある、大和川清掃をもっともっとがんばろうと思います。今年私の学年では、二学期にあります。だから、今度の清掃の時もがんばりたいです。
それに、私の中学校は大和川中学校という名前です。そんな汚い川で知られている川と同じ名前では、あまり気分がよくありません。昔は、泳げるようなきれいな川だったそうです。
日本一きれいな川になるようにするには、まだまだ時間がいると思うけれど、せめて、昔のように、夏になったら、プールに行かなくても、みんなで楽しく泳げるような、そんな川になるように、私たちはこれからもがんばります。そして、川にゴミを捨てることは、しないように一人一人に協力してほしいです。
<銅賞>
「大和川」
松原市立松原第六中学校3年
大和川はどうしてこんなに汚されたんだろう?最近よく疑問に思います。近所に住んでいるおばあさんたちからは、「昔はきれいだったんだよ」とよくきかされました。それなら、どうして今はこんなに?
大和川に行ってみたら、本当に汚されたなと再びにんしきしました。ゴミが川の中にいっぱいうかんでいた。かんや、おかしのふくろなど、本当にびっくりしました。こうなる前に、くいとめられるはずだと私は思っていたけど、現実はそう甘くなかった。人々は自分たちの便利さばかりを追い求め、自然のことなど、目にも止めていなかった。最近のニュースでは、ある工場からはダイオキシンが標準からはるかにこえて、川を汚したのを見て、心をいためました。ひどい。人間は自然とバランスを良くとっていなくては生活は安定できないと私は思いました。森林ばっさいなどによって、動物は絶滅したり、絶滅寸前だったり、あるいは森林や木がすくなくなったため、砂漠の拡大など、いろいろな問題が出てきました。川や海もそうです。水の汚染によって、魚やいろんな水生物が死んだり、生まれてきた赤ちゃんがきけいだったり、そして、魚が死んでいなくても、その汚染された魚を食べて、人間が犠牲者を出すこともあります。結局、人間がしたことがバツとして人間にかえってきます。こういうことを防がなければ、人間もいつかは絶滅するかもしれないとテレビできいたことがあります。例えば、車などからの排気ガス、今は排気ガスのすくない天然石油自動車があるみたいだけどその数は少なく、あまり普遍になっていないため、普通の車の排気ガスは、空気を汚したり、電気製品の熱などによって地球の温暖化がすすんでいます。このままだと、南極の氷が少しずつとけ、海の水位が上昇し、いつか人間は海によってのみこまれるかもしれません。人間は確かにかしこくいろんな便利な物を作りだせる生物であると同時に、怖い生物でもあると私は思いました。自己中心な人々がふえたからです。自分さえよければ、と思う人が多くなったからです。そういう考え方を変える必要があります。そして、なにか目立つことからするのではなく、まずは身近な環境をみんなで力をあわせて、きれいにしていきたいです。少しずつ、にんたい強く、そして、いつか、空気や川などがきれいになることがとても楽しみです。
いつか、きれいな大和川をみれることを楽しみにしながら、自分なりに、できることをしようと思います。
大和川はどうしてこんなに汚されたんだろう?最近よく疑問に思います。近所に住んでいるおばあさんたちからは、「昔はきれいだったんだよ」とよくきかされました。それなら、どうして今はこんなに?
大和川に行ってみたら、本当に汚されたなと再びにんしきしました。ゴミが川の中にいっぱいうかんでいた。かんや、おかしのふくろなど、本当にびっくりしました。こうなる前に、くいとめられるはずだと私は思っていたけど、現実はそう甘くなかった。人々は自分たちの便利さばかりを追い求め、自然のことなど、目にも止めていなかった。最近のニュースでは、ある工場からはダイオキシンが標準からはるかにこえて、川を汚したのを見て、心をいためました。ひどい。人間は自然とバランスを良くとっていなくては生活は安定できないと私は思いました。森林ばっさいなどによって、動物は絶滅したり、絶滅寸前だったり、あるいは森林や木がすくなくなったため、砂漠の拡大など、いろいろな問題が出てきました。川や海もそうです。水の汚染によって、魚やいろんな水生物が死んだり、生まれてきた赤ちゃんがきけいだったり、そして、魚が死んでいなくても、その汚染された魚を食べて、人間が犠牲者を出すこともあります。結局、人間がしたことがバツとして人間にかえってきます。こういうことを防がなければ、人間もいつかは絶滅するかもしれないとテレビできいたことがあります。例えば、車などからの排気ガス、今は排気ガスのすくない天然石油自動車があるみたいだけどその数は少なく、あまり普遍になっていないため、普通の車の排気ガスは、空気を汚したり、電気製品の熱などによって地球の温暖化がすすんでいます。このままだと、南極の氷が少しずつとけ、海の水位が上昇し、いつか人間は海によってのみこまれるかもしれません。人間は確かにかしこくいろんな便利な物を作りだせる生物であると同時に、怖い生物でもあると私は思いました。自己中心な人々がふえたからです。自分さえよければ、と思う人が多くなったからです。そういう考え方を変える必要があります。そして、なにか目立つことからするのではなく、まずは身近な環境をみんなで力をあわせて、きれいにしていきたいです。少しずつ、にんたい強く、そして、いつか、空気や川などがきれいになることがとても楽しみです。
いつか、きれいな大和川をみれることを楽しみにしながら、自分なりに、できることをしようと思います。
<銅賞>
一番きれいな川「大和川」
金光八尾中学校3年
きれいな川「大和川」と聞いて「え?」と思われたかもしれない。
私が住んでいる「八尾市」には、主に八つの川が流れている。市の南を東西に流れているのが、その中の一つ「大和川」である。大和川といえば、ワースト1で有名だ。日本一汚い川として全国に名が知れわたっている。その大和川が、八尾市では一番きれいな川なのである。
大阪で水道給水が始まったのは、明治28年だそうだ。それまでは、川の水やわき水、地下水を使用していたそうだ。
どうして川の水はこんなに汚れてしまったのだろう。先日、テレビでアフリカのある国の事を放映していた。生活用水は川の水だ。毎日、一時間歩いて水を汲みに行くという。なぜこんなに遠く離れた所に村を作るのかとリポーターが聞くと「川が汚れるから」と答えが返ってきた。そうなんだ。私たち人間が川の水を汚くしてしまったのだ。家庭から出る生活排水が、こんなに川を汚してしまった事を、どのくらいの人が気付いているんだろう。
五年前、私は環境のことを学校で勉強し始めた。でも、父や母はそういう勉強はしなかったという。今、台所や洗濯、お風呂など、生活排水に大きく関わっているのは父や母なのではないでしょうか。私たちが勉強した事を、自分で実践するだけじゃなく、「油やお米の研ぎ汁は流さないで、拭き取り洗いをしてできるだけ洗剤は少なくね」など、父や母に伝えるのも、私たちの役目なのではないでしょうか。
クリーンキャンペーンに参加し始めて、五年目。ゴミは年々少なくなってきたように思う。でも、水質はまだまだ変わらない。ワースト1といわれても、足を浸ける気にならなくても、私にとって「大和川」は、身近な愛着のある『一番きれいな川「大和川」』なのである。
きれいな川「大和川」と聞いて「え?」と思われたかもしれない。
私が住んでいる「八尾市」には、主に八つの川が流れている。市の南を東西に流れているのが、その中の一つ「大和川」である。大和川といえば、ワースト1で有名だ。日本一汚い川として全国に名が知れわたっている。その大和川が、八尾市では一番きれいな川なのである。
大阪で水道給水が始まったのは、明治28年だそうだ。それまでは、川の水やわき水、地下水を使用していたそうだ。
どうして川の水はこんなに汚れてしまったのだろう。先日、テレビでアフリカのある国の事を放映していた。生活用水は川の水だ。毎日、一時間歩いて水を汲みに行くという。なぜこんなに遠く離れた所に村を作るのかとリポーターが聞くと「川が汚れるから」と答えが返ってきた。そうなんだ。私たち人間が川の水を汚くしてしまったのだ。家庭から出る生活排水が、こんなに川を汚してしまった事を、どのくらいの人が気付いているんだろう。
五年前、私は環境のことを学校で勉強し始めた。でも、父や母はそういう勉強はしなかったという。今、台所や洗濯、お風呂など、生活排水に大きく関わっているのは父や母なのではないでしょうか。私たちが勉強した事を、自分で実践するだけじゃなく、「油やお米の研ぎ汁は流さないで、拭き取り洗いをしてできるだけ洗剤は少なくね」など、父や母に伝えるのも、私たちの役目なのではないでしょうか。
クリーンキャンペーンに参加し始めて、五年目。ゴミは年々少なくなってきたように思う。でも、水質はまだまだ変わらない。ワースト1といわれても、足を浸ける気にならなくても、私にとって「大和川」は、身近な愛着のある『一番きれいな川「大和川」』なのである。
<銅賞>
「わたしたちの大和川」
王寺町立王寺南中学校2年
私が初めて大和川を見た時の感想は“何もない”というのが一番自分の気持ちに近いと思います。「汚い」と感じるのでもなく、他の感情も何もなかったと思います。ただ、「そこに川が流れている」それだけのことでした。そこを歩いている人がいても、別に川を見るわけでもなく、汚れていると感じる人がいても、自分から何か行動を起こす人がいるわけでもありませんでした。だから私のように川を見ても何も感じないという人間が出てしまったんだと思います。
今、川のことを大切に思っている人もいるでしょうが、私のような人間が多いのではないかと思います。このような人が増えてしまうといつかみんなが川のことを忘れてしまうのではないかと思います。
でも、私は大和川は今少しきれいになったと聞きました。町の人達の努力で昔“日本一汚い川”と呼ばれていたころとは違い、少しずつ変わってきているのです。あの“日本一汚い川”と呼ばれていた大和川が。
だから今、川をきれいにする運動に手をかしていない人達も私も行動を起こさなければならないと思います。時間や人にまかせられない、自分がまず行動を起こさなければ誰も手をかそうとはしない、また元の汚い川にもどってしまうという気持ちが必要です。時間がたてば結果が出る、だれかにまかせればきれいになるというような気持ちは捨てることが大切だと思います。
そして、ゆっくり少しずつでいいからきれいな川へ近づくようにみんなで努力し、川のそばを歩く人は「前より少しきれいになったかな」など、ちょっとしたことでもいいから川に関心を向けて、町の人達と心を通わせ、自分の手で、美しい町づくり、みんなの気持ちがつまったやさしい大和川が流れるようになればいいと思います。
私が初めて大和川を見た時の感想は“何もない”というのが一番自分の気持ちに近いと思います。「汚い」と感じるのでもなく、他の感情も何もなかったと思います。ただ、「そこに川が流れている」それだけのことでした。そこを歩いている人がいても、別に川を見るわけでもなく、汚れていると感じる人がいても、自分から何か行動を起こす人がいるわけでもありませんでした。だから私のように川を見ても何も感じないという人間が出てしまったんだと思います。
今、川のことを大切に思っている人もいるでしょうが、私のような人間が多いのではないかと思います。このような人が増えてしまうといつかみんなが川のことを忘れてしまうのではないかと思います。
でも、私は大和川は今少しきれいになったと聞きました。町の人達の努力で昔“日本一汚い川”と呼ばれていたころとは違い、少しずつ変わってきているのです。あの“日本一汚い川”と呼ばれていた大和川が。
だから今、川をきれいにする運動に手をかしていない人達も私も行動を起こさなければならないと思います。時間や人にまかせられない、自分がまず行動を起こさなければ誰も手をかそうとはしない、また元の汚い川にもどってしまうという気持ちが必要です。時間がたてば結果が出る、だれかにまかせればきれいになるというような気持ちは捨てることが大切だと思います。
そして、ゆっくり少しずつでいいからきれいな川へ近づくようにみんなで努力し、川のそばを歩く人は「前より少しきれいになったかな」など、ちょっとしたことでもいいから川に関心を向けて、町の人達と心を通わせ、自分の手で、美しい町づくり、みんなの気持ちがつまったやさしい大和川が流れるようになればいいと思います。
<銅賞>
「ごめんなさい」
王寺町立王寺南中学校2年
「ごめんなさい」
私はあやまりたい。大和川に…。
私は小学生のころ、担任の先生から聞きました。そのときで41歳ぐらいの先生が、まだ子供だったころ、大和川はとてもきれいな川だったらしいです。水が透き通っていて、プールのかわりに泳いでいたそうです。そして、魚も鳥もいっぱいいて、ゴミなんて一つもなかったそうです。
私が汚したわけじゃない、でも私達人間が汚したことにはちがいないのです。ゴミを平気で捨てたり、汚れた水をあたりまえのように流したり…。
私もその一人です。
でもこれからはそういう考え方を直していきたいです。ゴミを一つでも捨てないような一人一人になって欲しいです。そんな私になりたいです。
そして、いつの日か、ワースト1、2をあらそっている大和川から、ナンバー1になる大和川へと変えていきます。そして、小学校の担任の先生へ言ってあげたいです。
「先生、もうプールなんていらないね。」
と。
「ごめんなさい」
私はあやまりたい。大和川に…。
私は小学生のころ、担任の先生から聞きました。そのときで41歳ぐらいの先生が、まだ子供だったころ、大和川はとてもきれいな川だったらしいです。水が透き通っていて、プールのかわりに泳いでいたそうです。そして、魚も鳥もいっぱいいて、ゴミなんて一つもなかったそうです。
私が汚したわけじゃない、でも私達人間が汚したことにはちがいないのです。ゴミを平気で捨てたり、汚れた水をあたりまえのように流したり…。
私もその一人です。
でもこれからはそういう考え方を直していきたいです。ゴミを一つでも捨てないような一人一人になって欲しいです。そんな私になりたいです。
そして、いつの日か、ワースト1、2をあらそっている大和川から、ナンバー1になる大和川へと変えていきます。そして、小学校の担任の先生へ言ってあげたいです。
「先生、もうプールなんていらないね。」
と。
<銅賞>
「生きる大和川」
王寺町立王寺南中学校3年
大和川は汚い汚いと呼ばれていますが、白いきれいな鳥がぽつんと立っているのが見られます。それは私達に何かを訴えかけるかのようでした。「助けて、助けて。」と。何度も何度も心の中で繰り返す鳥の叫びが、しんみりと伝わってきました。でも、心に感じられたのは、それだけではありません。それは、鳥がすごくきれいで、美しかったことです。大きな翼を広げ、本当に生々していました。私はその事を疑問に思います。どうしてこんなに汚い汚いと言われている川に生息していながらこのような状態でいられるのだろうと。それはまだ、大和川が川として生きているということを物語っている証拠であると思います。魚などがまだ少しいるのも、そうに違いありません。
私はこのごろ大和川は、もう美しい川に戻れないかもしれないと思っていました。しかし今回、改めて考え大和川にはまだ希望があると実感しました。これからの悪化を防ぎ、深く考えていけば、美しい日はそう遠くはないでしょう。そのためには人、一人一人の心がとても大切だと思います。
大和川は汚い汚いと呼ばれていますが、白いきれいな鳥がぽつんと立っているのが見られます。それは私達に何かを訴えかけるかのようでした。「助けて、助けて。」と。何度も何度も心の中で繰り返す鳥の叫びが、しんみりと伝わってきました。でも、心に感じられたのは、それだけではありません。それは、鳥がすごくきれいで、美しかったことです。大きな翼を広げ、本当に生々していました。私はその事を疑問に思います。どうしてこんなに汚い汚いと言われている川に生息していながらこのような状態でいられるのだろうと。それはまだ、大和川が川として生きているということを物語っている証拠であると思います。魚などがまだ少しいるのも、そうに違いありません。
私はこのごろ大和川は、もう美しい川に戻れないかもしれないと思っていました。しかし今回、改めて考え大和川にはまだ希望があると実感しました。これからの悪化を防ぎ、深く考えていけば、美しい日はそう遠くはないでしょう。そのためには人、一人一人の心がとても大切だと思います。
<銅賞>
「心の安らぎの場所、大和川」
王寺町立王寺南中学校3年
私にとっては大和川と言えば、“きたない”というイメージしかありません。これは、とてもかなしい事だと思います。川をきれいにできるのもきたなくするのも人間です。人々がきれいにしようと心がければ必ず川はきれいになるでしょう。しかしこのまま放っておけば川は汚れていく一方です。
川が澄んでいる所に行くと、自然に心が優しくなる気がします。魚達が元気に泳いでいるのを見るとうれしくなります。大和川は昔はそうでした。だから昔のように人の心の安らぎの場所に戻ってほしいと思います。そのためには、やっぱり人間の力が必要になってきます。小さなことから始めてみてはどうでしょうか。自分の足もとに落ちているゴミを拾うとか、油はそのまま流さずに固めて捨てるとか…。やろうと思えばいくらでもできるはずです。
二十一世紀がどんな未来になるかは、私達一人一人にかかっています。大和川と言えばだれもが“きれい”というイメージがもてるようになってほしいです。
私にとっては大和川と言えば、“きたない”というイメージしかありません。これは、とてもかなしい事だと思います。川をきれいにできるのもきたなくするのも人間です。人々がきれいにしようと心がければ必ず川はきれいになるでしょう。しかしこのまま放っておけば川は汚れていく一方です。
川が澄んでいる所に行くと、自然に心が優しくなる気がします。魚達が元気に泳いでいるのを見るとうれしくなります。大和川は昔はそうでした。だから昔のように人の心の安らぎの場所に戻ってほしいと思います。そのためには、やっぱり人間の力が必要になってきます。小さなことから始めてみてはどうでしょうか。自分の足もとに落ちているゴミを拾うとか、油はそのまま流さずに固めて捨てるとか…。やろうと思えばいくらでもできるはずです。
二十一世紀がどんな未来になるかは、私達一人一人にかかっています。大和川と言えばだれもが“きれい”というイメージがもてるようになってほしいです。
<銅賞>
「マイリバー大和」
王寺町立王寺南中学校3年
奈良テレビを見ていると「マイリバー大和」というコマーシャルがよく登場します。これは、大和川に清流を取り戻そうというキャンペーンです。
私たちが住む奈良盆地を流れる大和川は、多くの川が集まり、大阪湾へと流れています。きっと、昔は、奈良盆地の田畑をうるおし、奈良の水運を支え、奈良盆地の人々の生活を支えてきた川だったのです。
しかし、今では、大和川は、毎年、全国で一、二を争うほど汚い川です。同じ奈良県を流れる吉野川が、飲料水や吉野川分水の利用や、きれいな水で人々から好かれていることとは大違いです。
私にとって、大和川はふるさとの川です。川辺を歩きたくなるような、すてきな川に生まれ変わってほしいものです。
大和川が、こんなにも汚い川になったのは、大和川流域の人口が増え続け、大量の下水が流れ込んでいるからです。奈良盆地が暮らしやすいところだったから、大和川が汚れてしまったのです。
でも、大和川がきれいな川になる希望はあります。二つの浄化センターができ、下水をきれいにして川に流すようになってきています。それに、各地で川をきれいにしようとする運動に取り組んでいる人達が増えてきています。大和川を管理している大和川工事事務所も様々な取り組みを進めてくれています。
このような取り組みが進めば、きっと、大和川に清流が戻ってくるはずです。
胸を張って、「マイリバー大和」と言える日もきっとやってくることでしょう。
私は、その日が一日でも早く来ることを願っています。
奈良テレビを見ていると「マイリバー大和」というコマーシャルがよく登場します。これは、大和川に清流を取り戻そうというキャンペーンです。
私たちが住む奈良盆地を流れる大和川は、多くの川が集まり、大阪湾へと流れています。きっと、昔は、奈良盆地の田畑をうるおし、奈良の水運を支え、奈良盆地の人々の生活を支えてきた川だったのです。
しかし、今では、大和川は、毎年、全国で一、二を争うほど汚い川です。同じ奈良県を流れる吉野川が、飲料水や吉野川分水の利用や、きれいな水で人々から好かれていることとは大違いです。
私にとって、大和川はふるさとの川です。川辺を歩きたくなるような、すてきな川に生まれ変わってほしいものです。
大和川が、こんなにも汚い川になったのは、大和川流域の人口が増え続け、大量の下水が流れ込んでいるからです。奈良盆地が暮らしやすいところだったから、大和川が汚れてしまったのです。
でも、大和川がきれいな川になる希望はあります。二つの浄化センターができ、下水をきれいにして川に流すようになってきています。それに、各地で川をきれいにしようとする運動に取り組んでいる人達が増えてきています。大和川を管理している大和川工事事務所も様々な取り組みを進めてくれています。
このような取り組みが進めば、きっと、大和川に清流が戻ってくるはずです。
胸を張って、「マイリバー大和」と言える日もきっとやってくることでしょう。
私は、その日が一日でも早く来ることを願っています。