砂防事業発祥の地、「田上山(たなかみやま)」

瀬田川流域に広がる田上山一帯は、古くから木が切り出されたり戦火に巻き込まれたため、雨が降るたびに大量の土砂が瀬田川に流れ込み、大規模な氾濫を繰り返してきました。田上山の砂防事業は、治水事業に命を賭けた先人たちの情熱と技術によって培われてきたのです。


奈良・平安時代の田上山

古墳時代までの田上山は、ヒノキやスギ、カシなど豊かな木々に恵まれた緑豊かな美林でした。しかし、平城京や東大寺などの建設資材として大木がどんどん切り出され、江戸時代になる頃にはすっかり「裸地山」になってしまいました。「万葉集」の「藤原京の役民の作る歌」にも当時の様子が細かく詠まれています。


砂防に情熱を傾けた技術者たち

オランダ人技師でありながら瀬田川流域の砂防工事の指導に情熱を傾けたデ・レーケ、砂防工事の解説書「水理真法」を著した市川義方、田上山を中心とする淀川水系の砂防工事の監督、技術指導に一生を捧げ、田上山の「砂防さん」と慕われた井上清太郎、田上山のはげ地と取り組んだ、近代砂防の父、赤木正雄など、今日にいたる砂防技術の発展には、数多くの先人たちのたゆみない努力の結果が積み重ねられているのです。



もどる

HOME > アクア琵琶体験ガイド > 瀬田川砂防 > 砂防のれきし