九頭竜川の歴史・文化



利水の歴史
福井平野は、九頭竜川、日野川、足羽川などの豊富な水を利用して、稲作を主に発展してきました。
特に九頭竜川沿いの平野部は、古くから鳴鹿より取水し、十郷用水(右岸)、芝原用水(左岸)などによってうるおってきました。
鳴鹿の航空写真

芝原用水
芝原用水慶長12年(1607)、結城秀康の命によって作られた芝原用水は、多くを城下の飲み水や農業用水として 使用され、一部を城内に引水して濠水や御泉水として利用されてきました。
特に飲み水は、「お上水」と呼ばれ厳しく管理され、芋などを洗っただけでも罰せられました。
また、江戸時代には4月から9月まで、用水から分けられた水を53ヶ村の農業用水として利用され、約4万石の田畑を養ってきたと伝えられています。
現在も昔と変わらずに福井市の田畑をうるおし、飲み水ともなっています。
十郷用水
十郷用水十郷用水は、天永元年(1110年)に奈良興福寺領河口荘の十郷に用水を導き、水田を開発するためにつくられたと伝えられています。
また、鳴鹿取水は、春日社の神鹿の導きによるとも伝えられています。
江戸時代には42ヶ村約3万5千石をかんがいしていたといわれています。
現在、十郷用水は、坂井平野北部の殆どすべてをかんがいしています。