九頭竜川流域誌


2.1.4 台地地形

(1) 加越台地
 加越台地は、今から数10万年前に造られた台地であり、ほぼ三角形を成し海抜30〜80mで坂井郡三国・芦原・金津の3町にまたがる隆起性の洪積台地である。この台地は一部に粘土を含む厚い砂層から成り、浸食された谷がみられる。その谷底は、水田などに利用されている。台地の中で最も大きな浸食谷には、北潟湖が形成されている。集落は、台地崖下や低地に多く立地している。台地上は、近世末まで灌木や雑木が混じる原野もしくはやせた松の疎林であったが、徐々に畑が開かれ、昭和47年度からは坂井北部地区国営農用地開発事業により、九頭竜川から河川水をポンプ揚水して導き農地開発がなされ、樹園地を含む畑地が整備された。そしてスイカ・メロン・バレイショやナシの産地となり、生産物は県内をはじめ京阪神に出荷されている。
 なお、三国町浜地から覚善を結ぶ低地より西側一帯は陣ヶ岡と呼ばれ、新第三紀(米ヶ脇累層)の上に薄く洪積層(芦原砂層)をのせている。台地の周りに安山岩類を主とする火山性岩石が露出しており、東尋坊・松島・雄島などの奇勝風景を形成している。
(2) 鯖江台地
 鯖江台地は、福井・鯖江両市境にそびえる経ヶ岳の南麓から、琵琶山・長泉寺山・王山の孤立丘を抱き、舟津町付近までの南北約6kmと細長く、標高15〜30mの砂層の堆積地より成る。
 東端は旧北陸道で、浅水川が流れる沖積低地との境は比高15m内外の崖となっている。西方は日野川の沖積低地へ比高5m内外で傾斜している。北部を横断する浅水川の流路は、大正9年(1920)〜大正13年(1924)に開削したものである。
 王山と長泉寺山の間の鯖江地区は、中世に誠照寺の門前町として発達し、享保6年(1721)間部氏の入封により城下町の体裁を整えた。この地区は、基盤岩までの数10mが砂礫層であり、多少鉄分を含む地下水が豊富で、生活用水源となっていた。
 台地北部は鳥羽野と呼ばれる原野が広がっていたが、2代藩主松平忠直の時代に新田が開かれた。明治30年(1897)には、鯖江連隊が神明地区に誘致され原野が開かれた。昭和42年(1967)度より練兵場跡は土地区画整理され、周辺の丘陵部も切り崩されて新興住宅地や商工業地となった。特に、明治末期に興った眼鏡枠の工業団地として発展した。


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