口熊野

(国道42号,国道311号)

1. 天神崎てんじんざき

天神崎

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

天神崎
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

田辺湾の北側に突き出た岬にあり、緑豊かな丘陵部と干潮時に顔を出す21haもの岩礁で形成されています。北緯34度近くの海では異例の約60種類のサンゴや、約200種類の磯の生物が記録されており、自然観察教室も開催されています。また、宅地開発から自然を保護するための、環境保護運動のナショナルトラストが昭和49年(1974年)に日本で初めて設立された地でもあります。(2006.3.31)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約20分

天神崎の自然を大切にする会
line-foot
住民お薦め!
耳より情報

芳養八幡神社「例祭」情報提供:花つぼみ

11月2日の宵宮の「馬の潮垢離」に続き、11月3日に本祭が行われます。
祭の中心は、流鏑馬(やぶさめ)・御輿の渡御神事・馬駆けです。各当屋から乗子、馬子、的持ちなどが、旗指物(馬幟り)を持ち、道中で馬子唄などをうたいながら宮入をします。化粧鞍・化粧鐙・化粧手綱・前垂れ後垂れ・たちぎき(房)・ばれん等で飾り付けられた馬は大変華やかです。
「芳養八幡神社祭礼」は和歌山県の無形民俗文化財に指定されています。(2015.5.12)

【流鏑馬神事】 室町時代の狩装束を付けた射手が騎乗し、直径50cmの薄杉板の丸的を、ゆっくり馬を歩ませながら射ていきます。(2012.12.6)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約10分

芳養八幡神社例祭の人出

芳養八幡神社例祭の人出

流鏑馬

流鏑馬

流鏑馬に向かう

流鏑馬に向かう

馬の潮垢離情報提供:花つぼみ

馬の潮垢離所の石碑

芳養八幡宮の例祭の「馬駆行事」に出場する馬8頭が、宵宮にあたる11月2日、芳養中浜海岸に集まり、「潮垢離(潮かけ)の神事」が執り行われます。馬が8頭も集まる神事は、日本でも大変珍しい行事です。
 葦の葉を海に浸して清め、又、潮筒に海水を汲んで、馬子唄をうたいながら、道中の氏子の家々を回り、御神酒やご祝儀を受けながら帰ります。
 その後、宮入して馬場で「馬見せ(馬場見せ)行事」が行われます。(2015.5.3)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約15分

馬の潮垢離祝詞

馬の潮垢離祝詞

馬の潮垢離風景

馬の潮垢離風景

芳養八幡大社情報提供:花つぼみ

平安時代(1072)より、山城国(京都府)「石清水八幡宮」の荘園でしたが、承久三年(1221)の承久の変後、鎌倉幕府より地頭として湯浅氏が任命されて入り、勤務するようになりました。しかし、次第に地頭権限を拡大し、乱暴したり、所有権の強奪などを行うようになり、耐えかねた住民達は、領主の石清水八幡宮に訴え「芳養八幡大社」を壮鎮守として観請したものといわれています。
室町時代には湯川氏の庇護を受け、神事料の寄進、社殿の造営、別当寺の鷲峰寺(しゅうぶじ)をはじめ神宮寺などの末寺が整えられました。
その後、豊臣秀吉の紀州平定の紀南争乱でことごとく焼失してしまいましたが、近世の領主浅野氏や安藤氏の寄進によって再興され、1724年には特別保護の境内殺生禁止の証文が下されたほか、1779年には繋馬の絵馬、1825年にも白猪毛皮の皮空穂などが領主より献納されました。明治の神仏分離で別当寺が撤去され、中・上芳養八ヶ村の氏神として今日に至っています。2011年10月、本殿が新しく建て替えられました。
毎年、11月3日に行われる祭礼は、和歌山県の「無形民俗文化財」に指定されています。又、芳養八幡大社の森は、学術上貴重な自然林の残存株地で、田辺市の「天然記念物」に指定されています。(2015.4.22)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約10分

山門

山門

境内の様子

境内の様子

本殿

本殿

芳養の大津波碑情報提供:花つぼみ

昭和21年12月21日午前4時19分に発生した「南海道地震」の震源地は、紀伊半島潮岬南南西の沖合50km。地震の規模はM8.0。地震発生の数分後に津波の第一波が和歌山県南西部を襲いました。
田辺地方は、地震後10分〜15分で第一波が来襲し、津波は四回以上で第三波が最大でした。甚大な被害を与えた津波は、ここ芳養湾にも押し寄せ、この碑は、津波の高さを表しています。
グラッと来たら高台へ!碑を見ると、つくづく自然の猛威を思い知らされます。交差点の向かいに見える森は、芳養大神社(芳養王子)です。(2015.4.12)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約15分

津波の碑文

津波の碑文

芳養の津波碑

芳養の津波碑

海の中の大鳥居情報提供:花つぼみ

海の中の大鳥居

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

海の中の大鳥居

冬至の頃、鳥居の中に沈んでいく夕日が見られます。その様子を頑張って撮影に成功しました!(2014.12.25)
田辺市天神崎のすぐ近く、元嶋の前に、海の中にすくっと建っている大鳥居(大正14年建立)があります。大鳥居のそばの「田所島」に祀られていた弁天神社のお社が度重なる台風で壊れたため、大正15年10月1日に、お向かいの元嶋に遷座し、海の中に大鳥居だけが取り残されました。
田所島は今では、年々やせ細り、とても昔お社があったとは思えないくらい小さな島になっています。(2007.9.14)

・道の駅「みなべうめ振興館」より車で約20分

田所島

田所島

大鳥居

大鳥居

タイル張りの「白灯台」と「赤灯台」情報提供:花つぼみ

赤灯台

田辺市の江川港にある、白灯台(正式名称「田辺港江川西防波堤灯台」)と赤灯台(正式名称「田辺港江川東防波堤灯台)は初点がそれぞれ大正12年と昭和42年のタイル張りの灯台です。
港の外から港の中を見て左が白、右が赤と決まっていて、白灯台は、天神崎からすぐ近くの防波堤に、赤灯台は、田辺大橋の近くの防波堤に建っています。
江川港から、漁に向かう船が2つの灯台の間を通って飛び出していきます。白灯台は、そんな海の男の「大バトル」見物の絶好のポイントです。(2007.9.29)

・白灯台:道の駅「みなべうめ振興館」より車で約20分+徒歩5分

・赤灯台:道の駅「くちくまの」より車で約20分+徒歩5分

白灯台

白灯台

赤灯台

赤灯台

紀州田辺の柱松情報提供:花つぼみ

紀州田辺の柱松は、300年の伝統があるといわれるお盆の行事で、海難者の供養、豊漁祈願、新仏の供養などの祈りを込め、8月15日の夜に行われます。高さ約15mの柱の上のほうにある籠をめがけ、赤々と燃えるたいまつを放り投げます。
籠の外が燃えるにつれ、中にぎっしり詰められた「松葉」が火となって、サラ・サラ・サラと落ちてきます。幻想的な「火の舞」です。
1977年を最後に途絶えていましたが、2001年、地元有志が柱松保存委員会と実行委員会を結成して、復活させました。(2007.7.31)
写真提供:紀伊民報

・道の駅「くちくまの」より車で約20分

写真提供:紀伊民報

写真提供:紀伊民報

燃える前の柱松

燃える前の柱松

中に詰まった松葉が燃えて落ちてきます。

中に詰まった松葉が燃えて落ちてきます。

平坦な磯なので家族でどうぞ情報提供:つれもてネット南紀熊野

天神崎

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

天神崎
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

10数年前は、市内の小学校の遠足といえば天神崎でした。
市街地に近く平坦な磯は、大人数で行っても充分な広さがあるからでしょう。高学年になると釣り竿を持って行き、ガシラ(カサゴ)釣りをしている子供たちもよく見ました。
しかし、最近はあまり見かけません。大きな公園が整備されてきたことと、やはり海は危ないということでしょうか。学校で来なくても、平坦で比較的安全な磯なので、自然のなかで遊ぶ楽しさを子供たちに体験させたいものです。(2006.3.31)

交通〜天神崎付近は道が狭いので注意〜

大阪方面からの場合、国道42号線から田辺市民球場前の信号を右折します。あとは海沿いの道なりに進んでいけば行けますが、非常に狭いところもあるので充分注意して下さい。写真のような磯が見えるあたりに数台は駐車できる場所があります。

天神崎で泳げるよ!情報提供:花つぼみ

天神崎というと、岩礁というイメージですが・・・丸山と元嶋の間の小さな砂浜で、海水浴や、砂遊びが楽しめます。意外と地元の人も知らないポイントです。湾内なので波が穏やか、そして遠浅ですので、小さな子どもさん連れの方におすすめ!! ただ、小さな砂浜なので、満潮の時は遊び場所が少なくなります。
岩場で、「魚」や「あめふらし」などを見たくなった時のために、ビーチサンダルなどの履き物も、お忘れ無く・・(2006.3.31)

写真提供:紀伊民報
燃える前の柱松
line-foot