白浜・椿

(国道42号)

8. 熊野古道大辺路 富田坂

熊野古道大辺路 富田坂

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

熊野古道大辺路 富田坂

富田坂は白浜町富田地区の「草堂寺」より、日置川町との境界にあたる「安居(あご)辻松峠」を越え、日置川町の「安居」に越える峠道。世界遺産にも登録されています。
安居辻松峠から椿駅に下りるルートもウォークコースとして整備されており、椿温泉で癒しを楽しむ方法もあります。(2006.3.31)

line-foot
住民お薦め!
耳より情報

高瀬川河口の「ハマボウ」情報提供:花つぼみ

富田川と高瀬川に挟まれた河口付近に、ハマボウ(アオイ科)の大群落があります。高さ約8メートルの大木が約30本、小さいのを含めると200本はあるとみられています。2010年白浜町富田の住民有志が、集落の中に板を渡した遊歩道の「周回コース」を完成させました。
周回コースは、高瀬川沿いの町道から遊歩道に入って群落の間を巡り、約50メートル離れた町道に戻るようになっており、間近でハマボウの花を観賞することが出来ます。板の歩道は幅約80センチ、地面からの高さが約60センチ、延長約250メートルあります。
ハマボウの花期は、7月頃・・午前中が見頃です。近くにある「富遊ハス園」も、同じ頃花を咲かせますので、あわせてお楽しみ下さい。(2013.8.1)

・道の駅「くちくまの」より車で約20分

遊歩道の「周回コース」

遊歩道の「周回コース」

ハマボウの群生

ハマボウの群生

ハマボウの説明板

ハマボウの説明板

みちびき地蔵情報提供:市民の力わかやま

みちびき地蔵

国道42号と国道311号の交点、上富田町の岩崎交差点に、古い道標と並んで立っています。
「熊野道 右 大辺路 左 中辺路」と刻まれた古い道標は、明治31年に造られたものです。国道のバイパス工事に伴い、移設されてきました。みちびき地蔵は、昭和45年頃に造られたもので、足元には「右 しらはま 左 ほんぐう」とあります。
今もお供えのお花が絶えることのないお地蔵様は、これまでも、これからも、熊野へと参詣する人々を道標と並んで導いてくれることでしょう。(2011.3.27)

・道の駅「くちくまの」より車で約5分

三ヶ川の梵字塔と庚申塔情報提供:市民の力わかやま

三ヶ川に沿って大辺路を辿って行くと、自然石の石碑が立っています。大日如来や阿弥陀如来など十仏の梵字が刻まれています。これはかって安居の旧家の邸宅内に建てられていたものを移したものと言われています。更に歩いて行くと、平安無事や家門繁栄を願って建てられた庚申塔があります。60日に一度の庚申の日は夜寝ないでお願いする風習が今も日高地方には残っているそうです。(2008.7.18)

・道の駅「志原海岸」より車で約15分+徒歩約30分

梵字塔

梵字塔

庚申塔

庚申塔

三ヶ川(みかがわ)情報提供:市民の力わかやま

安居辻松峠を下るとすぐ舗装された林道にでます。この林道を一気に約40分下ると祝(しゅく)の滝分岐点です。大辺路は閉まっている門の横を通って行く左の方です。祝の滝までは、途中に雫の滝もあり、約15分で行くことが出来ます。
やがて、木の葉がくれに美しい三ヶ川を見つつ平坦な道を「安居の渡し」を目指して行きます。この川は水量が少なく、雨が降った日だけ水が流れることから「三ヶ(日)川」と呼ばれるようになったそうです。(2008.7.15)

分岐点

分岐点

三ヶ川

三ヶ川

日神社(にちじんじゃ)情報提供:市民の力わかやま

日神社

郵便橋から国道42号を30分ほど南下すると「日神社」があります。この日神社は、創始仁安2年(1167年)、吉田少将載秀が伊勢神宮から分霊したと言われている由緒ある神社です。鎮座800年あまりで、県の文化財にも指定されています。
現在の本殿は江戸時代後期に再建されたと考えられています。また、境内には、若宮神社・稲荷神社・厳島神社などの摂社が並び、落ち着いた感じでいかにも歴史を感じさせています。絵馬堂に絵が3枚ほど掛かっており、社務所の前の石垣は、お城のようなアーチで構築されていて、カニや小動物が出入りできるようなっています。こういうところに日本の歴史文化のやさしさを感じます。(2008.7.4)

・道の駅「くちくまの」より車で約15分

製炭所と三須和神社情報提供:市民の力わかやま

雨の日だけ流れることから三ヶ(日)川と呼ばれる川に沿って下ってゆき、日置川に近い処に紀州備長炭を焼く製剤所がある。そして、安居の集落に入るとかって村の集会所として使われた春日造りの三須和神社が現れる。鳥居の左側に「並木弘翁頌徳碑」が建てられている。翁は江戸時代後期の医家として有名で、大辺地を行くたくさんの文人墨客をもてなした功績を称えたものである。(2008.5.3)

・道の駅「志原海岸」より車で約15分

製炭所

製炭所

三須和神社

三須和神社

桜島・姶良(あいら)の火山灰層情報提供:市民の力わかやま

桜島・姶良の火山灰層

富田坂から日置川の支流である三ヶ川に沿って「安居の渡し」に向かって林道を下っていきます。途中で珍しい桜島・姶良火山灰層が見られます。
温泉の多い紀伊半島ですが、不思議と火山はありません。遠く離れた霧島火山帯の桜島は過去5000回以上も爆発を繰り返しています。今から22,000年前に大爆発を起こし、九州全土に火山灰が降り積もりシラス台地を形成しました。噴き上げられた大量の火山灰は約500kmも離れた紀伊半島にまで偏西風にのって運ばれ降り積もりました。従って、ここ安居の三ヶ川でも火山灰層を見ることが出来るのです。(2008.4.30)

・道の駅「志原海岸」より車で約15分+徒歩約5分

南昌山草堂寺情報提供:市民の力わかやま

南昌山草堂寺

熊野古道大辺路の富田坂の北麓にあって、富田坂の入口となっています。山号は南昌山、元は真言宗で円光庵と言っていましたが、慶安3年(1650年)高瀬村(現白浜町)の中岩久煕の弟、洞外が再興して、臨済宗東福寺派の禅宗「草堂寺」と改称しました。洞外に帰依した一条家および九条家の祈願所で、熊野曼荼羅33ヶ寺の第32番です。
本堂は天明6年(1786年)までに再建、草堂寺観音堂(円通殿)は1本の欅(けあき)から造られており、1本堂とも呼ばれております。観音像は、平安時代の仏像で、長州の日頼寺(山口県下関市)から東福寺を経て当寺に安置された「聖観世音菩薩」です。
天井絵は、山本秀が草花を描いており、十二支がそれぞれの方位に彫られています。また、天明7年(1787年)丸山応挙門下の画家、長沢蘆雪が来寺して障壁画を残し長沢蘆雪の寺の名でも知られています。(2008.4.28)

・道の駅「くちくまの」より車で約20分

日本でただ一つ!「郵便橋」情報提供:花つぼみ

郵便橋北側のたもと

国道42号が上富田町内で富田川を渡るところに架かっているのが、「郵便橋」です。
明治4年(1871年)郵便制度が始まったころ、富田川を渡るいくつかの渡しのうち、ここの渡しだけは郵便物を乗せるために県営で行われていました。明治30年代ごろに橋が架けられてから何度か架け替えられ、現在の橋は昭和33年度完成の5代目で、その由来から「郵便橋」と命名されました。「郵便橋」という名前の橋は日本には一つしかないそうです。
橋のたもとには、両岸ともに「〒」マークと石製のポストのオブジェがあります。また上富田町側(北側)のたもと近くの郵便ポストの上には「郵便橋のいわれ」と書かれた小舟に乗って郵便物を運ぶ人のオブジェ、白浜町側(南側)のたもと近くには「郵便橋物語」と書かれた石碑が立っています。(2007.4.17)

・道の駅「くちくまの」より車で約10分

郵便の渡し舟のオブジェ

郵便の渡し舟のオブジェ

橋のたもとにあるポストのオブジェ

橋のたもとにあるポストのオブジェ

「郵便橋物語」の石碑

「郵便橋物語」の石碑

要害山の「馬谷(うまんたに)城跡」情報提供:つれもてネット南紀熊野

草堂寺の脇道から富田坂を少し歩くと広場に出て、その先に「要害山(馬谷城)」の案内板があります。約260mとあるようにすぐに登れますので、富田坂のついでに寄ってみて下さい。「要害」とは敵の攻撃を防ぐのに便利なという意味とか。前方が切り立っており、抜群の眺望は山名が保証しています。
刈開き作業されてた方のお話では、あちこちに竪堀と呼ばれる溝が掘ってあって、横堀では、兵器である川原石が沢山出たそうです。往時の戦の様子が忍ばれます。場所は「熊野古道富田坂マップ」をご覧ください。(2006.7.7)

・道の駅「くちくまの」より車で約25分

要害山から富田平野を望む

要害山から富田平野を望む

要害山(馬谷城跡)の竪堀

要害山(馬谷城跡)の竪堀

富田川河口の法華塔山(ほけっとうさん)情報提供:つれもてネット南紀熊野

富田川は白浜町で紀伊水道に流れ込みます。その河口付近の里山、法華塔山に小さな祠が奉られています。ゆったりとした田園と白浜岬方向の風景が自慢です。
この河口は、かつて帆船が行き来する時代には、風待ちの港としても重要な位置付けであったそうです。白浜岬に向かって広がる「富田浜」は砂利浜ですが今でも地引き網を引くことがあるようです。集落を守る松林もみごとです。(2006.6.16)

・道の駅「くちくまの」より車で約20分+徒歩5分

法華塔山に奉られている小さな祠

法華塔山に奉られている小さな祠

富田浜と富田川河口を望む

富田浜と富田川河口を望む

蓮園大ピンチ! 〜イノシシ奮闘記〜情報提供:グループ・プロペラ

グループ・プロペラの蓮園に異変が起き出したのは、平成18年初め。「どうも、蓮園の様子がおかしい?」調べると、なんとイノシシがレンコンを食べにきているらしい(水の中のレンコンを食べるとは?!)。
そこから始まったイノシシとの大バトル! まず、イノシシ防御ネットを蓮園の回りに設置。ところが、すぐにネットはぼろぼろに破られて……これではいけないと、フェンスを張って一安心していたところ、今度は土を掘って中に入り、悠々と食べて行く始末。よほどレンコンがおいしいのでしょうか。3・4頭の家族(?)総出で食事に来ているようです。
こうなると、頑丈な柵をするしかないと鉄筋の鉄格子を張り巡らして、今のところグループ・プロペラが勝利を収めています。
しかし、一反(300坪)の蓮園の回り全部を3度も囲ったせいで財政がピンチ。それ以上に、根っこを食べられた『蓮』たちが大ピンチ! 今年の蓮は例年よりも少なく、小さいのが気になります……果たして7月に「蓮まつり」は開催できるのかどうか?……みんなでそっと見守っています。(2006.5.26)

・道の駅「くちくまの」より車で約15分

花盛りの富遊ハス園 2002年7月3日撮影

花盛りの富遊ハス園 2002年7月3日撮影

今年のハス園 2006年5月19日撮影

ハス園 2006年5月19日撮影

富田坂マップ情報提供:グループ・プロペラ

富田坂マップ

6月中旬から7月初旬まで見頃の「富遊ハス園」、夏にはトンボが飛び交う「高瀬川」沿いの四季の散歩道。川では鯉が泳いでいます。、木造の学校や、貝殻の埋まった地層……一昔前にタイムスリップした、のどかな田園風景……、河口付近の[ハマボウ]の群落、カラスそっくりの岩、海に沈む夕日……海の方にも見所がいっぱい、草堂寺の脇の小道からが「大辺路富田坂」です。(2006.3.31)
マップを持って、のんびりロマンの散策道をお楽しみ下さい。(画像から拡大マップがご覧いただけます)

富田坂〜安居辻松峠〜塩津山〜安居辻松峠〜蛭川谷〜椿駅情報提供:つれもてネット南紀熊野

安居辻松峠

熊野古道・富田坂の安居(あご)辻松峠から北側に20分程も登ると旧白浜町の最高点で一等三角点の塩津山に至ります。ここからの眺めはすばらしく、富田平野の先には白浜岬が一望でき、白浜空港に離着陸する航空機の様子も眼下に眺められます。ゆったりと紀伊水道に出入りする船舶の眺めは時の流れを忘れさせてくれます。振り返れば、熊野の山々がどこまでも重層しており、紀伊半島が海からすぐに山となっているのが実感できます。

富田側の谷は広葉樹の自然林が多く、眺めていると心が和んできますが、山の持ち主が針葉樹を植林しなかったそうです。近年、名水としてが知られるようになった「富田の水」もこれらの広葉樹林のおかげでしょうか。

ここから、富田側の谷を下ると舗装道となっているのですが、元の上り口まではかなりの距離があり歩く楽しさがなくなりますのであまりお薦めできません。また、富田坂は日置川の支流である三ヶ川に沿って「安居の渡し」となるのですが、現在は林道となっておりますので歩くにはあまり楽しくありません。

ほとんど山道に近いですが、「安居辻松峠」〜「椿・蛭川谷(ひるがたに)」へ下るコースをお薦めします。蛭川谷は、近年ほとんど人の手が入っていませんので野趣は満点です。

蛭川谷へ下ったら、せせらぎがありますので、こちらで喉の渇きを癒せます。ここを過ぎると渇水期は水場が期待できませんので注意ください。ご紹介しながらちょっと心苦しいのですが、「富田坂」には現時点で休憩所がありませんので、特に女性はお気をつけ下さい。

時々、椿駅側から入ろうとされる方がいらっしゃいますが、「蛭川谷」〜「安居辻松峠」の登りは結構きついので、地元としては諦めるようにと説得させて頂いてます。椿温泉に出られますと、各旅館や民宿などで温泉に入ることも出来ますので疲れを癒されるのもよろしいかと存じます。(2006.3.31)

line-foot