那智勝浦・太地

(国道42号)

8. 那智の大瀧

那智の大瀧

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

那智の大瀧
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

古代より自然信仰、平安時代以降は観音信仰の中心的な聖地として崇拝され、滝そのものが、飛瀧神社の御神体である那智の大瀧は高さは直下133m、滝壺の深さは10mの日本一の名瀑で、毎秒1トンもの水が落ちるさまをお滝拝所で間近に見られます。
滝の右手は南方熊楠が粘菌の採取をしたことで知られる那智山原始林(国天然記念物)となっていて、大滝を始め48の滝があり、那智大社神域となっています。
(※原始林内へは、安易に立ち入ることは避けた方がいいでしょう。)(2012.3.9修正加筆)

・道の駅「なち」より車で約15分

那智御瀧(熊野那智大社ホームページ)

那智の滝とサクラ

那智の滝とサクラ
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

熊野那智大社や青岸渡寺周辺は四季折々の花の名所でもあります。春にはソメイヨシノやシダレザクラなど多くのサクラに加え、シャクナゲ、ミツマタなど、様々な花が楽しめます。那智の滝を借景に花見を楽しむのは最高のぜいたくと言えるでしょう。(2011.4.8)

那智の大瀧

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

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住民お薦め!
耳より情報

那智原始林情報提供:市民の力わかやま

那智原始林

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

那智原始林

那智の大瀧の東側一帯の那智原始林は、明治・大正時代に一時国有になりましたが、今は熊野那智大社の社領です。古くから那智大社が保護をして斧を入れたことがなく、昭和3年(1928年)には国の天然記念物、平成16年には「世界遺産」に指定されました。保護のために一般の入山は禁じられています。
この那智原始林は、約32haある熊野を代表する照葉樹林です。照葉樹林の高さは約25m、優占種はクスノキで、この他にツブラジイ、サカキなどを混じえ、テイカカズラ、フウトウカズラなどのつる植物が一層原始林としての風格を添えています。また、亜高木層以下の各階層はよく発達しており、構成種も極めて多いのが特徴です。88科300余種のシダ類、山草も豊富で、南方熊楠が研究した蘭類の宝庫でもあります。(2007.7.22)

延命長寿の水情報提供:市民の力わかやま

延命長寿の水

那智の大瀧、滝壷すぐそばの御瀧拝所にまで行くことができます。料金:大人300円、小中学生200円を払って入ると、御瀧拝所手前の龍の口から「延命長寿の水」が出ています。この聖水は、神盃(100円)で受けて飲むことができ、その神盃は持ち帰ることができます。
「延命長寿の水」の由来は、その昔、滝壺に花山(かざん)法皇が延命長寿の仙薬である「九穴(くけつ)の貝」をお沈めになったことに始まり、広まりました。その「しぶき」に触れ、「御瀧水」を飲んで開運、延命長寿、幸福の霊験を受けようと願う人が今でも絶えません。(2007.7.14)

・道の駅「なち」より車で約15分

秘所の水と牛王神符情報提供:グランドデザイン那智勝浦

秘所の水と牛王神符

「秘所の水」は、文覚の滝(※)近くに湧き出ている名水です。通常は封印されていて、毎年元旦の早朝3時にこの若水を汲んで、熊野那智大社御本殿の迎水秘事の神事に使用します。
熊野詣の証として参拝者が持ち帰った烏の絵文字で書かれたお守が「牛王神符(ごおうしんぷ)」です。
1月2日早朝5時から、このご神符の摺り初めが、元旦に汲んだ若水を使って行われます。この時、使用する硯はもちろん那智黒硯(なちぐろすずり)です。
牛王神符は、神仏の名のもとに誓約することを書いた文書・起請文(きしょうもん)として使われてきました。義経が頼朝に牛王神符で忠心を訴えたと伝えられています。赤穂浪士がこの牛王神符の裏面に血判状をしたためたことでも有名です。(2007.4.6)

※文覚の滝は、平成23年9月、台風12号による大雨で巨岩が崩落し消失しました。(2012.3.9)

・道の駅「なち」より車で約15分

熊野那智大社 牛王神事

熊野那智大社 牛王神事    写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

文覚(もんがく)の滝情報提供:市民の力わかやま

文覚(もんがく)の滝

那智の大瀧の滝壷からすぐ下流にある落差8mの滝が「文覚の滝」で、別名「曾以(そい)の滝」とも言われます。文覚の滝は、鎌倉時代初期、恋した人妻・袈裟御前(けさごぜん)を誤って殺した文覚上人が、出家してこの滝に打たれて荒行をし、寒さのために凍死する寸前を不動明王のお使いの童子二人に助けられて修行を成就したことに由来します。(2006.11.22)
平成23年(2011年)9月、台風12号による大雨で滝に巨岩が崩落し、この滝は姿を消しました。

「平家物語」では、文覚上人は、那智での荒行の後に、同じく伊豆に流刑となっていた源頼朝に平家打倒のための挙兵を勧めることになります。「平家物語」ゆかりの、上人にちなんだこの滝の存在を伝えるため、この項を残します。(2012.3.9)

・道の駅「なち」より車で約15分


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