那智勝浦・太地

(国道42号)

11. 妙法山阿弥陀寺あみだじ・那智高原公園

妙法山阿弥陀寺

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

妙法山阿弥陀寺

妙法山阿弥陀寺
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

妙法山阿弥陀寺は、弘法大師ゆかりの地で、女人高野といわれ那智三峰のひとつ妙法山の山頂にあり、創建は平安時代です。(2006.3.31)

・道の駅「なち」より車で約30分

妙法山阿弥陀寺
世界遺産(かけぬけ坂)(那智勝浦観光サイト)

那智高原公園

那智高原公園

那智高原公園は9haの敷地にローラースライダーや遊具、また那智の大瀧が眼下に望める展望台などを備え、 家族連れやグループで四季を通じて楽しむことができる森林公園です。
この妙法山から、富士山が見えます。妙法山(標高749m)から富士山までの距離332.6km。富士山の見える南限の地で、高い山脈などの障害物がないためです。
富士山の見える場所は「妙法山富士見台」として整備されており、那智高原公園から上ることができます。(登り口の所から約20分、上り約1km、健脚者向き)
実際に妙法山から富士山を見るためには、富士山までの間に雲がでていない空気の澄んだ早朝が良いそうです。(2006.3.31)

・道の駅「なち」より車で約25分

那智高原公園(那智勝浦町ホームページ)
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住民お薦め!
耳より情報

清水氏館跡情報提供:古座川街道やどやの会

那智勝浦町色川は平家の落武者の伝承が残る郷です。平清盛の孫で屋島の戦いに破れた三位中将平維盛(たいらのこれもり)は熊野に落ち延び、那智の浜で入水したとみせかけて、色川の郷に身を隠し、子孫を残したとの伝承があります。維盛の子とされる盛広は清水姓を名乗り、その一族がしだいに勢力をもち、土豪として南北朝や戦国時代を通じ「色川一党」として活躍します。
口色川には、約180坪余りの清水氏の館跡が残っています。広い石段の両脇には馬小屋の跡があり、三方を城塞のような堅固な石垣で囲われた様子は土豪の屋敷にふさわしいたたずまいで、那智勝浦町の文化財に指定されています。(2012.9.13)

・道の駅「なち」より車で約30分

清水氏館跡石段

清水氏館跡石段

清水氏館跡石垣

清水氏館跡石垣

狩場刑部左衛門記念碑情報提供:古座川街道やどやの会

狩場刑部左衛門記念碑

那智勝浦町色川の樫原地区に、熊野の伝説的英雄として今なお語り継がれる狩場刑部左衛門(かりば ぎょうぶざえもん)の記念碑があります。『紀伊続風土記』などの記述によると、昔「ひとつだたら」という盗賊が山中から出没し、熊野三山の宝物を盗むなどの悪行をはたらいていましたが、誰もこれを捕らえることができず、色川の樫原にすむ狩場刑部左衛門という勇猛な男に頼んで、ようやく討伐に成功しました。刑部左衛門は那智山から寺領の山林三千町歩(約3000ha)を恩賞として受けましたが、自分のものとせず、色川郷18カ村に譲り、長く郷民の助けとしました。
刑部左衛門の死後、郷民はその徳をたたえ、屋敷跡を整備して王子権現と称し、地域の氏神として祀りました。しかし、この神社は明治の神社合祀令によって明治43年(1910年)色川神社に合祀され、跡地の山林は売却され廃社となりましたが、その後も郷民は字栃谷にある墓地に石塔を建てて長く遺徳を偲んできました。
その後、墓地が広げられて、大正7年(1918年)新たに記念碑が建てられ、昭和4年(1929年)には狩場刑部左衛門五百年祭が盛大に営まれ、今に至るまで、毎年2月に旧色川郷18ケ村の代表が集い、慰霊祭が行われています。(2012.8.29)

・道の駅「なち」より車で約40分

色川神社と緑青の崖情報提供:市民の力わかやま

色川神社と緑青の崖

円満地公園から太田川に沿って、県道45号を約0.5km北上した道沿いにあります。川の対岸に高さ40mほどの切り立った岩壁があり、古くはこの岩をご神体としてお祀りしていたと伝えられています。後に川の神、深瀬明神をお祀りするようになったとか、京都の深草より勧請されて深草神社と呼ばれるようになったとか伝えられていますが、色川地区の総氏神であったようです。大正3年に、村内各地の神社を合祀して、色川神社と改称されました。
県道を挟んで、神社の向かいのコンクリート吹きつけの崖に大変興味深いものが見られます。水が流れた跡に緑色の緑青がはっきりと確認できます。色川はかつて銅の産地として知られていました。すぐ近くの円満地公園オートキャンプ場も、1972年に閉山した鉱山跡地です。(2012.8.7)

・道の駅「なち」より車で約35分

色川神社のご神体

色川神社のご神体

緑青の痕

緑青の痕

椙吉神社と棚田情報提供:市民の力わかやま

椙吉神社

妙法山の西、色川との間に位置する小坂地区。その氏神である椙吉(すぎよし)神社の鳥居の横にある大杉は、高さ25m、幹周り7m以上で、根元で2本の幹に分かれています。
斜面に階段状に広がる棚田、その風景はふるさとの原風景として、日本人の心の中に刻まれてきました。しかし、多くの農山村と同じく、この地区も過疎高齢化が進み、休耕田が増えてきています。棚田を守ろうと、グループ「棚田を守ろう会」が結成され、田植え、稲刈りなどを体験できるイベントを開催しています。(2009.5.29)

・道の駅「なち」より車で約20分

色川の棚田

色川の棚田  写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

妙法山阿弥陀寺の見晴台情報提供:市民の力わかやま

阿弥陀寺山門の前の手入れが行き届いた庭の右手に見晴台があります。那智山青岸渡寺の裏手の熊野古道途中から脇道を登り、約30分でこの見晴台に出て息を呑みます。一気に目の前に熊野灘が広がり、遠く大島が望めます。那智山スカイラインの見晴台とは別の魅力のある場所です。
熊野古道は、大雲取越えから那智高原公園を通り、那智山青岸渡寺に続きます。熊野那智大社を目前にして、脇道に入り、阿弥陀寺にお参りしてこの高台で休憩し、素晴らしい眺望を楽しんだことでしょう。現在でも、手入れのゆきとどいた庭園で古道を歩く人がよくお弁当をひろげているそうです。また、熊野灘を航行する船の安全を確保するための、江戸時代の常夜灯跡が人知れず苔むしてあるのも趣を添えています。(2007.7.23)

・道の駅「なち」より車で約30分

阿弥陀寺の見晴台から

阿弥陀寺の見晴台から

常夜灯跡

常夜灯跡

那智の大瀧遠望情報提供:市民の力わかやま

那智高原公園の苔むす静かな山道を歩いていくと南東端にある大瀧展望台に着きます。この展望台から、からはるか下、那智原生林から流れ落ちる那智の大瀧を望むことができます。三筋となって流れ落ちるさまが絵のように見え、「三筋の滝」と呼ばれる理由が良く分かります。
この那智の大瀧は、熊野灘を航行する船からも遠望できます。見つけた時の感動はひとしおです。また、勝浦町内や温泉街、山上のホテルや岬など様々な場所から見ることができます。(2007.7.15)

・道の駅「なち」より車で約25分

展望台に続く道

展望台に続く道

那智の大瀧遠望

那智の大瀧遠望

色川の棚田

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

最遠の富士見台情報提供:那智勝浦観光協会

最遠の富士見台

富士山の見える最遠(322.6km)の地が妙法山富士見台です。この那智高原公園に富士見台への上り口があります。
大台ヶ原が富士山の見える南限の地だといわれていました。しかし、熊野古道から「富士山が見えた」との言い伝えがあり、地元の山師の間でも「妙法山から富士山が見える」と言われていました。1995年12月に新宮市の写真家が大雲取山(標高965m)から富士山(距離320km)の撮影に成功。さらに、1997年1月には妙法山から富士山を撮影しました。さらに、1999年元旦には日本テレビの「ズームイン朝」が撮影に成功、テレビ放映されました。
那智勝浦町の日本一のひとつです。(2007.4.7)

・道の駅「なち」より車で約25分+徒歩約15分

色川茶と紅茶情報提供:市民の力わかやま

色川茶と紅茶

那智高原公園から車で西に向かって約30分、色川(いろかわ)です。色川は知る人ぞ知るお茶の産地です。温暖な気候と清らかな水にはぐくまれた色川茶は、まろやかな風味で人気があり、本州で最も早く摘まれる緑茶として知られています。緑茶、烏龍茶、紅茶は、いずれも、ツバキ科ツバキ属の常緑樹である茶の木から作られます。茶の葉の中に含まれる酸化酵素の働きで、発酵させたものが紅茶、半発酵させたものが烏龍茶、発酵させないものが緑茶です。お茶の産地、色川の紅茶は数少ない純国内産紅茶で、コクのある薫り高い紅茶です。写真の販売店には水琴窟もあります。(2006.11.24)

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