第2章 水の困らない避難生活のために

1. 水のない避難生活
 避難生活において、ライフラインの断絶により一番困ったのは水の確保であり、とりわけトイレの水が確保できずに困った。多くの被災者は、水が十分に使えないことによって、洗濯や風呂が制限された。



水道管破損箇所で水をくむ人々

図7 市民意識調査「震災後、最も困ったのは生活用水」

 水の不足により苦労した避難生活の様子
水の確保が大変だった
 電気はさておき、水に一番苦労した。寿司屋や豆腐屋などには井戸があったのでもらいに行き、何とか飲料水はまかなえた。トイレの水は近くのゴム工場跡地に井戸があったのでバケツをひもで吊してとり、ポリ箱に入れ、台車にて運んで使用した。また苅藻川の水をポンプで汲み上げ、これを利用した箇所もあり、また、地下に溜まった水が一定時間で放水されるのを利用したりして用を足した。そのうちに給水車が来るようになり、救援物資とボトルも入るようになり一段落したがトイレ、洗濯の水はやはり不足した。
【被災地の自治会長】

 水が出なかったこと。水道が止まり、プールの水も消火活動に使い果たした。トイレの清掃が出来なかったのが苦しかった。雨水を貯め、使用したのを覚えている。冬なのでよかったが、夏場なら大変なことになったと思う。
【避難所となった学校の当時の校長等】

重労働だった水運び
 水道の断水は風呂もさることながら、トイレ(想像以上に水がいる)のために日に数回(20リットルのポリタンク2個)の水運びをした。安全のためエレベーターを数日止めたこともあり、4階以上や年輩入居者には大変だったと思う。それに比べれば煮炊きや飲み水は量的にも大きな問題ではなかった。
【被災地の自治会長】

トイレ問題
 集会所に避難したけれど、場所が狭いため大勢の人々を収容できずに困った。トイレが水洗のため、断水になり使用不能になり、屋外に穴を掘り排便をしてきた。
【被災地の自治会長】

 一番困ったのがトイレであった。人数が多いこともあり、水洗トイレはいつも詰まった状態になるので教職員が汚物を手で取り除く作業をし、使用していた。この作業は簡易トイレが届くまで続いた。プールの水はヒビが入ったため、漏れてしまい使う事が出来なかったため、欠かせない作業であった。
【避難所となった学校の当時の校長等】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


給水車からポリタンクを使って水を汲んでいる様子


 水の不足は、被災者の避難生活だけでなく、水を必要とする医療活動にも深刻な影響を与えた。

 医療活動への影響を語る医療・救助関係者の声
 水道は貯水槽、高架水槽があったため1日目には断水が無かったが、その後、トイレが使えなくなった。患者への給食も出来なかった。水道に関して給水車の要請に困った。
【医療関係者】

 市内医療機関に水が不足し、水を必要とするレントゲン撮影や人工透析ができなくなり、多くの透析患者や手術適応患者を市外へ搬送し、市内救急隊の半数以上が不在となるケースが増加した。
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 水不足によるトイレ利用の困難さは、健常者よりも身体障害者の方にとって、大変厳しい状況であった。避難所のトイレ、ましてや狭くて段差のある仮設トイレでは、身体障害者の方は最初から利用をあきらめざるをえず、避難所での生活ができずに、被災した自宅へやむなく戻らなければならなかった。

 障害者の避難生活はもっと大変だった
 障害者のためトイレが利用できなかった。また、障害者用のトイレが、一般の住民利用に開放されたために、ほとんどの洋式トイレが使用できなかった。
 車椅子のため、移動する際に道が寸断され、車椅子が通れる道を探すのに大変だった。避難所が車椅子を使用している人間には非常に生活がやりにくかった。
【被災した障害者】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」



2. 水に関する様々な経験
 まず、日頃から飲料水等を備蓄したり、お風呂に水を溜めておくことなどが考えられ、こうした備えが功を奏した体験も語られている。

 水や食料の備えが避難生活に役立った
 飲み物は家の冷蔵庫に残った清涼飲料水の2〜3ボトルのみで2日間それを分けて飲んだ。(自衛隊が水を運んで来たのは3日目の昼頃)
【被災住民】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 また、避難生活において、身近な川や池、学校のプールなどの水が、生活用水として、たいへん役に立ったことが報告されている。

 川などの水を利用した様々な工夫
 近くに住吉川があったので、飲用としては利用できないが、洗濯などに利用できた。
【避難所となった学校の当時の校長等】

 周辺に畑や温室があるため(半径500m以内)、数カ所に農業用揚水ポンプがあり、我々にも開放(自由にスイッチが入れられた)していただいたので、トイレ用の水など大いに助かった。
【被災地の自治会長】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」



川の水を利用して洗濯をしている様子 写真:朝日新聞社より


 もし、トイレが使用できず、しかも夏に地震が発生したならば、衛生上大きな被害が広がる恐れもあった。幸い被災を免れ、水さえあれば使用できた水洗トイレが多かったが、紙を流さないなど、少量の水でも排水管を詰まらせない工夫が必要である。

 トイレ使用のノウハウ
 震災によりライフラインが機能停止した場合であっても、下水道管等が破損していなければ、水を確保することにより既存の水洗トイレや下水道の機能は使用可能となる。(ただし、水洗トイレは通常は大量の水を必要とするので、少量の水でも下水管を詰まらせないためのノウハウ(例えば、紙を流さないなど)も必要である。)
出典:『震災時のトイレ対策−あり方とマニュアル−』(日本消防設備安全センター、1997年)


 港が利用できるところでは、旅客船を着岸させて避難住民の入浴を受け入れ、多くの人が利用した。

 入浴船の提供記録
 入浴船というのは、ご承知のようにジャンボフェリー就航の加藤汽船さん、それから日本海運さん、四国フェリーさん、それとわれわれ関西汽船の4社の船がたまたま岸壁が損壊しているために休航しておりましたが、このときに、1隻トライアルを兼ねて東神戸港の第二バースへ着けたことがあるんですが、たまたま地元の方がお風呂に入ってないので入れてもらえないかとおっしゃってこられたというのがスタートのことでして、そこでわれわれ4社の運行管理者が集まりまして、時間の調整と停泊、もちろんこれは停泊時間ですが、合わせて開放をどの程度するかということをいろいろ話し合いまして、たしか1月の22日ごろから28日か29日ぐらいまで各社の船が着けてやったと。非常によろこばれたということを聞いてますし、私自身も訪船しまして、やはりお風呂に入るとホッとするようなお言葉をいただきまして、「ああ、やってよかったなあ」と思っております。
【当時:関西汽船(株)取締役船舶部長 岸田早苗氏】
出典:『阪神・淡路大震災における運輸関係者の行動記録』
(阪神・淡路大震災復興支援運輸連絡協議会、1998年)



3. 身近な社会基盤の工夫
 まず、日頃から飲料水等を備蓄したり、お風呂に水を溜めておくことなどが考えられ、こうした備えが功を奏した体験も語られている。


<下水処理水のリサイクル>
 下水処理水は、従来、処理後に河川や海域等へ放流されていたが、近年、貴重な水資源としての価値が高まっており、ビルのトイレ洗浄水や公園などへの散水用水、また親水用水としても再利用されている。この処理水は、災害時においても、水道管が破断した場合には、トイレ洗浄水や防災用水など、飲用以外の用途に広く利用が可能である。


神戸市ポートアイランドの中央緑地における下水処理水の再利用例
(池、水路、散水栓などに下水処理水が利用されている。) 
写真:神戸市建設局より


 井戸や手押しポンプの役割を見直し、実際に井戸を残したり、手押しポンプを設置する取り組みも出てきている。

 井戸やため池の役割を見直す意見
 一時断水をしましたが、井戸を設置していたので支障はありませんでした(飲料以外に使用)。その経験から、本社建て替えの際も井戸を残すこととしました。
【被災企業の経営者】

 生活用水の確保:一般市民に日常から自衛手段(トイレの水等)を考えてもらう、各公園に井戸、手押しポンプを設置する、井戸のある民家のリストアップ、ため池の復活、用水おけの復活…。
【ライフラインの管理者】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 避難生活で仮設トイレの衛生環境が問題になったことから、駐車場や公園に仮設トイレ用のマンホールを設置する自治体が増えている。

<下水道を利用した仮設トイレの設置>
 避難所に設けられた仮設トイレの多くは、水洗用水の不足により排泄物がその場に留まり悪臭を発生させた。また、トイレの絶対数が不足したため、避難所周辺で用を足す事態なども起こり、衛生環境が著しく悪化した。この教訓を元に、駐車場や公園を利用して仮設トイレ用のマンホールを設置する自治体が増えている。この施設は、下水道と仮設トイレ用マンホールを直接接続するため、大量な水洗用水を必要とせず、処理のための作業も必要ない。また、簡易な覆いのみで使用が可能であり、緊急性に優れている。
大阪市が駐車場に設置した
仮設トイレ用マンホール

写真:大阪市下水道局より