国土交通省 近畿地方整備局

和歌山河川国道事務所


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4.昭和時代以降

発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
昭和5年4月25日
(1930年)
暴風雨   和歌山市で家屋1棟、煙突1基倒壊、笠田で新築中の家屋1棟倒壊、負傷者3名
昭和8年10月19日
(1933年)
暴風雨   紀北の被害大
昭和9年9月21日
(1934年)
室戸台風 9月13日はるか南方海上で発生した台風は21日午前3時足摺岬を掠めて同5時室戸岬、同6時徳島西南方を過ぎ、7時40分頃阪神間に上陸した。室戸岬の上陸の際の低気圧は919mbで、和歌山地方は午前3時頃から影響を受け、6時40分頃には烈風となった
死者 12名   傷者 64名
家屋全潰 683戸   家屋半倒 745戸
家屋流 4戸   家屋浸水 600戸
昭和16年6月11日
~29日
(1941年)
豪雨 300mmを超える豪雨あり 紀の川重要橋梁ことごとく流失
昭和19年9月17日
(1944年)
台風 9月14日ラサ島附近に発生した997mbの台風は、鹿児島、宮崎附近を通 過し、更に松山、米子を経て、本州北岸附近くを沿って北東に進んだ。和歌山附近では、17日午前中は北東の軟風が吹き、低気圧の接近に従い風向を南に転じ次第に強くなり、和歌山港附近は波浪が益々高く、最高潮位は0.P.3.41mとなった 紀の川筋は潮位 の上昇に従い、紀の川を逆流し激浪は左岸脊割堤表側に激突し、石張は土砂の流失に伴い崩壊或は段落し一時危険状態となったが、天端を超えなかったので380mの石張が洗掘されただけであった。又堤防裏小段延長310mに亘って土砂が流失した。紀の川に於ける災害復旧予算は143,000円となった
昭和19年10月8日
(1944年)
台風 10月4日マリアナ群島附近に発生した台風は、発達しながら本州に接近した。中心気圧の最低は933mb、円形等圧線の半径は600kmに及ぶ雄大な台風で本州を覆っていた高気圧を北に押し上げながら北進し、伊勢湾を経て名古屋附近に上陸、毎時50kmの速さで一気に日本海に抜けた。和歌山地方では10月6日夜半より降り始め時々豪雨となり、7日は終日強風を交えて降り続いた。雨量は和歌山130mm、上流川上村で220mm、水資源地大台ヶ原山では300mmを越す雨量となった 7日の午後より水位 は刻々上昇し、船戸量水標で、8日7時より9時に至る間、最高水位4m90を記録し、船戸下流に於いては計画高水位迄0.82mを残すだけとなり、改修工事起工以来の大洪水となった。国道の永久構造物を除き7ヶ所の橋梁が流失した。和歌山市新在家地先に於いて流木の為堤防表法が崩壊、護岸が洗掘流失した。災害復旧は予算68,000円で工事が着手されている
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
昭和20年7月21日
(1945年)
低気圧 低気圧が本県を上陸した。朝9時頃雷雨性強風を伴う 和歌山線名手粉河間、線路床30m流失
昭和24年9月22日
(1949年)
低気圧 日本海と南海道沖を東進した所謂二ツ玉 低気圧を結ぶ不連続線の通過のため県下に100mm前後の降水量あり 和歌山市北の新地付近浸水のため23日11時まで電車が普通となった
昭和25年9月3日
(1950年)
ジェーン
台風
9月3日朝8時40分頃から瞬間風速55mにして、淡路南端より神戸を通 過した。ジェーン台風の中心に接した和歌山市では、午前9時頃から東北東の風強く、次第に猛烈の度を増し、南東から更に南々西に向きをかえて通過した 和歌浦・雑賀崎及び河川沿岸は甚大な被害をうけた。
死者 4名   重傷者 18名
家屋全潰 857戸   家屋半壊 2,485戸
漁船流失 62雙   田海水浸水 172町歩
田園風害 1,383町   家屋浸水 2,334戸
昭和26年3月6日
(1951年)
低気圧 対島海峡から日本海に抜けた低気圧の中心から南西に伸びた顕著な前線通過により県下各地暴風雨となる。和歌山で最大風速19.9m/s 和歌山市内ほとんど停電
昭和26年7月8日
(1951年)
豪雨 和歌山付近では正午前後豪雨となる 東和歌山、和歌浦方面で500戸浸水、田畑冠水3,000歩町
昭和26年10月14日
~15日(1951年)
ルース
台風
台風の余波が和歌山で16時間に及ぶ 負傷者、家屋倒壊、浸水等、被害16億に上った
昭和27年7月10日
~11日(1952年)
豪雨 明治12年和歌山気象台観測開始以来の最大の豪雨が起る 被害総額51億余にのぼる甚大な被害を受けた
昭和28年6月7日
(1953年)
台風
第2号
分裂した低気圧の中心が兵庫県に上陸した 台風に伴う降雨量は100mmを超えた程度であるが、前月末の霖雨に各河川の増水甚だしく、各所に水禍を頻出した
昭和28年7月17日
~18日(1953年)
梅雨前線 17日夜から18日朝にかけて県北部を襲った梅雨前線による集中蒙雨は24時間に400~500粍に及び各河川はたちまち増水し、各所に山津波が発生した 有田・日高・貴志川の氾濫によって濁水は一瞬にしで人畜・住宅・耕地を一呑みし、未曾有の被害をもたらした。
被害者数 99,598人   死傷者 6,348人
家屋破損 4,887戸   家屋流失 3,896戸
その他、耕地・公共施設等の被害も大きく県下の総ての被害額808億に達した
昭和28年8月25日
~26日(1953年)
雷雨 紀北地方では26日朝にかけて雷を伴う80mm前後の降水あり 貴志川筋の湯の橋を初め橋梁流失、また上神野村、岩倉村内の県道損壌があり一時交通杜絶になる
昭和28年9月25日
(1953年)
台風
13号
台風は四国沖から進路を北東に転じ、25日午後潮岬をかすめ熊野灘に向った。このため全県下に亘って大暴風雨となった。 前の7.18水害の応旧復旧工事も殆んど破壊され、或は流失した各処に大災害をもたらした。雨量は大台ヶ原で雨量最大612粍(大正12年より9番目)、この時の船戸量水標水位6.68米は過去の最高記録である。紀の川の最大流量は7,800m3/s。
堤防決潰 545ヶ所   山崩れ 743ヶ所
道路破潰 2,462件   鉄道被害 16ヶ所
橋梁流失 595件      
船舶流失沈状況   251雙  
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
昭和29年2月27日
~28日(1954年)
暴風雨 27日午後から風雨強く起る 和歌山電話局内本配電盤地下ケーブルに浸水、電話一部不通 になる。岩倉、城山で山崩れ、五村で増水
昭和29年6月29日
~30日(1954年
梅雨前線 28日朝楊子江下流で発生した低気圧は、発達しながら西日本縦断の形で停滞し、30日に小笠原高気圧の勢力が強まり南の気流が卓越して来たため紀南、中部、山地に多雨域があらわれた 県北部に水禍をひき起した。死者4人、傷者30人、行方不明、家屋の全壊、半壊流失等の被害は紀の川流域に特に多かった
昭和29年7月6日
(1954年)
低気圧 前線が西日本に停滞し、数度の降雨が起る 紀の川が増水し、初期水位がかなり高かったので警戒水位を突破することとなった
昭和29年9月19日
(1954年)
台風
14号
9月10日マリアナ諸島東方洋に発生した台風が房総半島に上陸した。降雨は紀伊半島南東山岳地帯に多く日雨量は800mmを越えた 紀の川は警戒水位を上廻る洪水となった
昭和31年9月26日
~27日(1956年)
台風
15号
マリアナ諸島西方附近に発生した熱帯性低気圧が発達して中型台風となり、紀伊半島南方沖を東海沖を経て関東南部を通り三陸沖に去った。降雨は紀の川上流部で300mm下流部で200mm程度であったが下流部は26日未明より寒冷前線による200mmに達する降雨があり2日間の雨量は極めて多く、和歌山では487.2mm、橋本では269mm、迫では427mmを示した 26日の寒冷前線による豪雨が和歌山に於いて300mmに達し、支川の破堤、法崩れ等が続出し、内水による浸水面積850町歩、家屋の流失、浸水2,000戸に及んだ。翌27日未明より15号台風による降雨は全域に亘り100~300mmに及び、本川水位は上昇し、安楽川住吉川地区において氾濫78町歩に達した。両日に亘る被害総額は300,000,000円に及んだ。紀の川の最大流量は4,120m3/s。
昭和32年8月12日
(1957年)
大雨 各地に150mm以下の降雨があった 和歌山市で浸水家屋150戸
昭和33年8月25日
(1958年)
台風
17号
カロリン群島北方に発生した亜熱帯性低気圧は和歌山県の御坊市と白浜の北にある印南の間の海岸附近より上陸、その後は近畿地方を縦断し北陸地方に去った。降雨は24日から紀の川流域上流部で500~700mm下流部で100mm程度で上流山岳地帯に多量の分布を示した 指定水位(2.50m)を突破し、最高水位 4.90mに達した。本川の増水に伴い一部耕地に浸水した。紀の川の最大流量は、3,830m3/sを記録した。
昭和34年8月12日
~13日(1959年)
大雨 県北部と中部に雨量が多く降る 竜門堤防6m決潰、和歌山市の和田川50mにわたって溢水、御坊住家倒れ1人死亡、1,700戸浸水するなど被害大であった
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
昭和34年9月26日
(1959年)
伊勢湾
台風
26日18時頃潮岬西方10km付近に上陸し、紀伊半島を北北東に縦断した。降雨は紀の川上流山岳地帯に集中し人之波で118mm/hを記録した。 被害は甚大であり、死者17名、負傷者56名、全半壊2,321棟、浸水8,044棟の被害を出した。紀の川の最大流量は5,870m3/sを記録した。
昭和35年6月21日
~22日(1960年
豪雨 21日夕刻より22日にかけて蒙雨 和歌山・海南市を中心とした紀北一体と御坊市を中心とした日高郡に多少の被害あり。ただし氾濫はまぬがれた
昭和35年9月1日
(1960年)
台風
16号
台風の接近に伴い紀の川上流では27日より降り始め平均350mm、下流部で平均80mmの降雨があった 風雨により被害はなく、工事個所に於いて僅かな被害と手戻り個所が生じた
昭和36年6月24日
~29日(1961年)
台風6号 梅雨全線並びに6号による集中豪雨が紀北地方を中心にみまわれた 各河川は至るところで氾濫し、全県的に被害を受ける。被害額約16億5千万円
昭和36年9月16日
(1961年)
第二室戸
台風
超A級の台風で瞬間最大風速56.7m/s、平均最大風速35m/sで雨よりも風による被害が大きかった 死者15人、行方不明1人、負傷者316名家屋被害120,713戸、農作物被害面積33,715haとなった。
昭和36年10月27日
(1961年)
前線豪雨 27日夜から28日朝にかけて豪雨があり、大台ヶ原では記録的な1,233mmの総雨量があった。 死者15名、負傷者316名であった
昭和37年7月27日
(1962年)
台風7号 雨量は迫417mm、橋本117mmを記録し、紀の川の水位は中流域で警戒水位を超え上市で2,280m3/sの洪水となった。 県下の被害は死者4名、建物被害1,278戸、田畑被害2,287ha等であった
昭和39年9月22日
(1964年)
台風
20号
紀の川流域の雨量は少なく大台ヶ原の総雨量は202mmであった。 被害は強風によるものが多く、特に農作物の被害が多かった。
昭和40年9月8日
(1965年)
台風
23号
総雨量は大台ヶ原267mm、橋本85mm、和歌山52mmで、紀の川の最高水位 は三谷で警戒水位を僅かに越えた。 被害は、紀の川筋の和歌山県側で負傷者7名、建物浸水ll7戸であった。
昭和40年9月16日
(1965年)
台風
24号
総雨量は大台ヶ原439mm、橋本157mm、和歌山139mmと多く、紀の川の中流から上流にかけて警戒水位に達した。 紀の川筋の被害は、死者3名、建物浸水794戸、田畑流冠水978ha、橋梁流出7ヶ所等であった。
昭和43年7月27日
(1968年)
台風4号 雨量は紀伊半島の南部から中部山岳に多く、総雨量は大豆生367mm、大台ヶ原1,460mmとなった。紀の川の水位は橋本で警戒水位となった。 紀の川直轄災害は、中流部から上流で10ヶ所の護岸崩壊等の被害となった。県下一般 では負傷者2名、建物被害450戸、田畑完遂436ha等の被害であった。
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
昭和46年9月26日
(1971年)
台風
29号
26日朝から紀の川上流域でかなり強い雨が降り始め、大豆生で190mmとなった。隅田では警戒水位を超える5.61mとなった。 被害は少なく、床下浸水53戸程度であった。
昭和47年9月17日
(1972年)
台風
20号
大台ヶ原では14日から降雨があり総雨量542mm、橋本では15日から134mmの降雨があった。紀の川・貴志川では警戒水位を突破した。 直轄災害は9ヶ所、県下一般災害は死傷者4名、建物浸水3,443戸、田畑冠水422ha、橋梁流出2ヶ所等であった。
昭和54年9月30日
(1979年)
台風
16号
紀の川流域の雨量は、大台ヶ原326mmであったが、下流域は100mm前後で、水位は指定水位程度であった。 高潮により河口部で被害を被り、直轄災害工事を実施した。
昭和57年8月1日
(1982年)
台風
10号
大台ヶ原では時間雨量115mmの強雨となり、総雨量は898mmと記録的な大雨となった。船戸では警戒水位を突破し7.04mのピークに達した。 直轄区域内の災害ヶ所は30ヶ所にのぼった。流域の一般被害は死者6名、行方不明1名、床上浸水99戸、床下浸水611戸、田畑冠水880ha、橋梁流失1ヶ所であった。
平成2年9月19日
(1990年)
台風
19号
降雨は紀の川上流で400~1,000mm、中・下流域でも200mmの降雨となった。船戸では最高水位6.86m、最大流量6,400m3/sを記録。  
平成6年9月30日
(1994年)
台風
26号
大台ヶ原では27日4時から降り始め、総雨量は1,071mm、時間最大雨量88mmを記録した。このため、五條、三谷、隅田、船戸で警戒水位を突破した。  


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