(1)もっとも被害(ひがい)が大きかった地すべり(1931年-1933年)
1. 地すべりの始まり
地すべりの前ぶれは1931年(昭和6年)9月ごろからありましたが、ついに11月柏原市(かしわらし)の峠地区(とうげちく)を中心に大量の土のかたまりが大和川(やまとがわ)に向かってすべり始めました。 次の年には地すべりの活動はさらに活発化し、JR(旧国鉄)関西本線の亀の瀬(かめのせ)トンネルがくずれて通れなくなりました。
2. 止まらない地すべり
1932年(昭和7年)2月中ごろには、とうとう亀の瀬のすぐ上流が水につかってしまいました。 さらに、7月の大雨で地すべりが活発化し、大和川の川底が9m以上せり上がりました。 この地すべりで大和川は完全にせき止められ、上流部の王寺町(おうじちょう)あたりは浸水(しんすい)してダム湖(ダムこ)のようになりました。
3. くらしへの大きなえいきょう
その後、地すべり活動は少しずつおさまりましたが、約15ヵ月間におよんだ地すべりは多くの被害をもたらしました。たくさんの家がたおれたり、こわれたりしました。田畑の作物も全めつしました。鉄道や道路も通れなくなりました。電車が運転を再開できたのは1935年(昭和10年)12月でした。 当時の人々は、一度すべりだしたら止まらない地すべりのこわさを体験したのでした。

亀の瀬の地すべりは日本中の注目を集め、多い日には1日2万人もの見物客がおしよせました。災害のようすを伝える写真の絵はがきも発行されました。
- 地すべりで大和川の底にたまった土をとる工事のようす