守山ボタルが、もどってくる日

守山ボタル

滋賀県守山市は、かつてはゲンジボタルの群生地として広く全国に知られていました。なかでも、守山川上流の吉身の油池周辺は、伏流水が豊富に湧き出し、ホタルの幼虫のエサとなるカワニナがたくさん生息していました。
年間を通して水温が一定していることなど、繁殖地として理想的な環境であったためゲンジボタルが大量に自然発生し、下流域にも生息の場を広げていきました。また、この地のホタルは、通常のゲンジボタル(体長約2センチメートル)よりもひと回り大きく、体長が約3センチメートルで発光もひときわ強いため、 “守山ボタル”として珍重され、ホタル問屋を通して各地に出荷され、皇室にも献上されていました。
現明治時代の中頃から大正にかけて、守山ボタルが全国的に有名になると、しだいに乱獲が激しくなり、大正13年には内務省から守山ボタルとその群生地である守山川が「史跡名勝天然記念物指定地」に定められました。
しかし、この保護策もむなしく、昭和に入ると産業排水や農薬、さらには家庭からの生活雑排水によって水質が汚濁し、守山ボタルは減少を続け、ついに昭和27年にはカワニナとともに絶滅に至ります。
現在、守山市では市民や小・中学校の生徒によるホタル研究会が調査活動を行う一方、行政や自治会、近隣の企業が一体となって「ホタルの住むまち」を復活させようとさまざまな活動を進めています。近年は、滋賀県の富栄養化防止条例や公害防止条例、さらには下水道の整備などによって水質が向上し、市内の鳩の森公園やほたるの森ではゲンジボタルが飛び交うようすを観察することができます。ただ、堂々たる姿形と優雅な光で全国に名を馳せた守山ボタルをよみがえらせることは一朝一夕には難しく、その美しい姿をふたたび目にするためには、科学技術の進歩だけではなく、私たちひとりひとりの努力が不可欠といえるでしょう。

ゲンジボタル(写真提供:守山市ほたるの森資料館)


もどる進む