九頭竜川流域誌


7.6 雨乞い

(1) 番水と雨乞祭
 番水とは、日時を定めて一定地区毎に用水を通水する仕組みで、地区によって方法が異なる。
 大野では、斯波・朝倉時代から渇水ともなると大井用水組合の代表(ほとんどが各村々の庄屋)が会合し、相談のうえで番水を行うことを決めていた。
 代表的な渇水時の番水操作をひもとくと、寛保元年(1741)6月20日頃から降雨が無く、7月15日になっても雨が降らず、水田に亀裂が生じ稲が枯死寸前の状態となったため、同月20日に五条方三門又番水の願出があり、用水組合の代表が相談のうえで22日朝より番水を実施することとなった。番水は慣例に従い、大野町に2日2夜、東江には1日1夜、西江にも1日1夜通水することとなった。
 一方、7月16日に惣庄屋より町年寄に対して「雨乞祭」を行うことを申込み、町年寄より奉行に申し上げたところ「それは勝手次第に仕るべし」という通達を得て、雨乞祭を神明・清滝・篠座の3社で17,18日さらに20日にも実施した。そうしたところ、21日晩方より雨が降り出し22日には大雨となり、農家の人たちも驚く一方で大いに喜んだ。このときの雨乞祭に使った費用は、3社および山伏への御礼など、銀130匁3分5厘であった。
(※大野町史 中巻 p.1347〜1348)
(2) 石神様(南条町)
 上別所の入口にすさのお神社があり、その境内の向かって左方の本殿横に石神様という小社がある。
 歯痛のとき「いり豆の芽が出るので、歯痛を止めて下さい。」と石といり豆を持って祈願すると、痛みがとまるという。社頭には、小石が山と積まれている。
 昔は、干天のときに村中の者が祠の前に集まり、お題目を唱えて雨乞いをしたという。
(3) 雨乞い石(南条町)
 奥野々の山王神社には、重さが4kgある雨乞いの石を祀ってある。
 昔は、ホノケ山にヒノキとマキが植えられていて、100日も干天が続くと木と木とが擦れ合って火を発したという。あるとき120日間も干天が続き、五穀は実らず、草木は枯れ、大風が吹いて木が摩擦して発火し山火事となり、7日間も燃え続けた。
 7日後に、山のなかから大水が湧き出てようやく鎮火した。その火が止まった「火づめ」という所に、見慣れない石があった。村人たちは「この石が川を転がったので、雨を降らせたのだ。」と合点し、その石を大切に持ち帰って山王神社に祀った。
 その後、干ばつのときには、その石を川へつけて祈るようになったという。


九頭竜川流域誌メニューへ
第5章メニューへ
戻る次へ
TOPに戻る

Copyright (c) 国土交通省近畿地方整備局 福井工事事務所 2001 All Rights Reserved.