大伴家持が編集したといわれる万葉集は、長歌・短歌をあわせて約4,500首にのぼる。そのうち福井県に関係あるのは100首近くあり、なかでも武生に関係するものが大半を占めている。これは、編者の大伴家持と同族である大伴池主が、越前国の掾(四等官で国司の第三位)として武生に赴任したことによるものといわれる。 |
君が行く道の長手を繰り畳ね 焼き滅ぼさむ天の火もかも | |
茅上娘子 |
畏みと告らずありしをみ越路の 手向に立ちて妹が名告りつ | |
中臣宅守 |
また、大伴家持は、天平勝宝2年(750)4月に武生の池主のもとへ届けさせている。これは、日野川に関係する歌でもある。そのときの長歌と短歌を紹介する。 |
天離る | 夷としあれば | 彼所此間も | 同じ心そ | 家離り | 年の経ぬれば | うつせみは |
物思繁し | そこ故に | 情慰に | 霍公鳥 | 鳴く初声を橘の | 珠に合へ貫き | 蘰きて |
遊ばふ間も | 丈夫を | 伴へ立てて | 叔羅川 | なづさひ泝り | 平瀬には | 小網指し渡し |
早き瀬に | 水鳥を潜けつつ | 月に日に | 然し遊ばね | 愛しきわが背子 |
叔羅川瀬を尋ねつつ | わが背子は鵜川立たさぬ情慰に |
鵜川立て取らさむ鮎の其が鰭は | われにかき向け思ひし思はば |
叔羅川は日野川のことで、当時は鵜飼いが行われていたので、「日野川に共でも連れて早瀬を求めて鵜飼いをしなさい。そうすれば心が慰められますよ」という意が前者である。
後者は、「もし心から私を思うなら、鵜飼いをしてお取りになった鮎のひれを、私の方にお向け下さい」といった意味である。1羽の鵜を贈ったという話が万葉集にもみられる。 |
叔羅川むかしかつけし鳥の名の | 浮き世はいまもかわらざりけり |