九頭竜川流域誌


2. 真名川砂防事業
2.1 真名川砂防事業発足の経緯

 真名川上流域では、昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風、昭和36年(1961)9月の第二室戸台風、さらに昭和40年(1965)9月の奥越豪雨などにより、山崩れが随所に発生して、土砂が流出するなど大きな土砂災害を生じた。なかでも奥越豪雨時には、総雨量が1,000mmにも達したことにより、洪水による河川氾濫のうえ、河岸浸食、山腹崩壊が各所に起こり、大量の土砂流出が発生した。このため、大野・勝山両市や和泉村、特に大野郡西谷村中島地区では、役場や小・中学校をはじめ民家などが土砂に流失埋没するという壊滅的な大災害を受けた。
 このため、真名川上流の砂防調査を早期に着手することとなり、災害発生直後の昭和40年(1965)11月より、建設省近畿地方建設局福井工事事務所において、主として河道に堆積した土砂量調査などを実施した。  
崩壊による河床堆積状況
崩壊による河床堆積状況
上空からみた荒廃状況
上空からみた荒廃状況
流域の荒廃状況

 その後、真名川流域の砂防調査は、昭和43年(1968)4月に発足した建設省中部地方建設局越美山系砂防工事事務所に引継がれ、本格的な調査を進めることとなった。調査内容は、既往調査資料の収集、治水ダムの施設調査、既設砂防施設調査のほか砂防基本計画の資料となる崩壊面積、崩壊土量、河道堆積量調査や既設工作物調査などであり、基本計画策定に必要な諸調査を昭和49年度まで実施した。
  その後、昭和53年度より真名川砂防工事を建設省直轄で実施することとなり、中部地方建設局から近畿地方建設局へ移管され、福井工事事務所が担当することになった。それは、荒廃した流域を放置すれば崩壊地が拡大し、渓岸の洗掘は助長され、昭和54年(1979)3月に竣工した真名川ダムの治水機能にも影響を与えることが予想されたことによる。昭和53年(1978)に着手したときは、福井工事事務所に監督官を新設して真名川砂防担当としたが、工事の進捗とともに、昭和57年(1982)に大野市に真名川砂防出張所を新設して業務を遂行することとなった。


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