熊野川〜新宮

(国道168号-国道42号)

10. 熊野速玉大社くまのはやたまたいしゃ・佐藤春夫記念館

熊野速玉大社

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

熊野速玉大社
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

熊野速玉大社は本宮・那智とともに熊野三山のひとつに数えられています。かつて神倉山(権現山)に祀られていた神を現在の社地に移したため、神倉山を元宮、こちらを新宮と呼んだといわれています。神宝館(しんぽうかん)には1200点にのぼる国宝が保管展示されています。(2006.3.31)

・道の駅「なち」より車で約25分

熊野速玉大社
熊野速玉大社(新宮市観光協会)
佐藤春夫記念館
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

佐藤春夫は、明治25年(1892年)、現在の新宮市に生まれました。代表作「殉情詩集」「秋刀魚の歌」はじめ、あらゆるジャンルにわたる著作を遺しています。熊野速玉大社境内にある記念館は、昭和2年(1927年)に西村伊作の弟、大石七分の設計で建てられた佐藤春夫の邸宅を移築したもので、自筆原稿や生活用具等が展示されています。(2006.3.31)

佐藤春夫記念館
佐藤春夫記念館(新宮市観光協会)
料金 一般330円、小・中学生160円
土・日曜日は小・中学生および高校生は無料(学生証を提示)
身体障害者手帳等をご提示の場合、無料
時間 9:00〜17:00(入館は16:30まで)
距離 道の駅「なち」より車で約25分
定休日 月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し、火・水の2日間が休館)
祝日の翌日、年末年始(12/28〜1/3)
TEL/FAX 0735-21-1755
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住民お薦め!
耳より情報

本廣寺情報提供:市民の力わかやま

神倉神社から熊野速玉大社にかけて形成されている寺町の真ん中近くにあるお寺です。寺町とはいえ、スナックなどが多く飲み屋街の真ん中でもあります。元は周防守(熊野の統治者)の屋敷でしたが、後に新宮藩主の菩提寺となりました。境内に立つ書写妙法蓮華経印塔は、経典を約7万個もの石に写し、埋葬したもので県の文化財に指定されています。(2011.8.8)

・道の駅「なち」より車で約25分

本廣寺山門

本廣寺山門

本廣寺

本廣寺

書写妙法蓮華経印塔

書写妙法蓮華経印塔

東くめ宅跡情報提供:市民の力わかやま

佐藤春夫記念館から新宮城跡に向かう僅か1kmの道筋に、新宮出身の人々の生家や碑が並びます。そして道筋には、写真のような道標が建っていて生家などに導いてくれます。「鳩ぽっぽ」などの作詞で有名な「東くめ宅跡」も、今は駐車場になっていますが、この道筋から商店街に入ったところにあります。(2011.7.13)

・道の駅「なち」より車で約25分

東宅跡への道標

東宅跡への道標

東くめ宅跡1

東くめ宅跡1

東くめ宅跡2

東くめ宅跡2

妙心寺情報提供:市民の力わかやま

妙心寺

神倉山麓の社務所北隣に妙心寺があります。古くは円仁により天台宗の寺院として創建されました。円仁建立と刻銘された法華供養石碑が境内に伝わっています。代々京都から公卿の息女や鎌倉時代には法燈国師の母が入寺したとも伝えられ、勧進聖の拠点寺院として由緒あるお尼寺でした。臨済宗、真言宗の尼寺を経て、現在は熊野速玉大社の管理下にあって、神倉神社の本地仏である愛染明王を祀っています。(2009.6.27)

・道の駅「なち」より車で約20分

神倉神社の下馬標石情報提供:市民の力わかやま

神倉神社の下馬標石

「下馬」標石はここで乗り物を降りるように表示した石柱です。標石には、寛文12年(1672年)奥州(現・東北地方)の大銀与兵衛盛道が、熊野三山に七度参詣した記念に寄進したとの趣旨が刻まれています。高さ1.59m、幅43cm、厚さ17cmの石柱です。今日は、参拝の方が下馬標石の前で、自転車を几帳面に降りたようで、微笑ましい光景です。(2009.4.29)

・道の駅「なち」より車で約20分

佐藤春夫生誕の碑情報提供:市民の力わかやま

熊野速玉大社から新宮城に向かう途中に、日本の文学史を飾る作家「佐藤春夫」が生まれた地があります。明治25年4月9日に生まれたこの地に、「生誕の碑」が建てられました。碑には父・豊太郎の句「よく笑へ どちら向いても 春の山」が刻まれています。
新宮市は、大きな通りに写真のような史跡などへ案内する「石の道標」を建てています。非常にありがたいです。(2008.12.5)

・道の駅「なち」より車で約25分

佐藤春夫生誕の地への道標

佐藤春夫生誕の地への道標

佐藤春夫生誕の碑

佐藤春夫生誕の碑

川原家(かわらや)横丁情報提供:市民の力わかやま

熊野速玉大社近くの熊野川河口に「新宮川原町」と呼ばれる町がありました。この町には、速玉大社の参拝者、イカダ流しや川舟の船頭が利用する宿屋、米屋など各種お店、銭湯から床屋まで全てがそろっていました。店はすべて「折り畳み家屋」の仮設小屋で、台風などの大水がありそうなとき、2時間ほどで文字通り「店をたたみ」部材を持って避難します。そして水がひくと同じ場所に家を建てました。しかし、昭和初期に道路が整備されたので「新宮川原町」はその役割を終えなくなりました。
そして、約50年経った今年、川原家5軒が並ぶ小さな商店街「川原家横丁」が復活することになりました。営業店は、菓子店や海産物店、飲食・喫茶店と、土産物や農産加工品などの販売店が2軒。10月1日から仮営業し、12日の記念式典後正式に開業しました。新宮を訪れる観光客をお待ちしていますので、是非とも「川原家横丁」へ行って見て下さい。<写真提供:紀南河川国道事務所>(2007.11.22

・道の駅「なち」より車で約25分

川原家横丁(新宮市観光協会)
川原家横丁

川原家横丁

説明板

説明板

神倉山(権現山)情報提供:市民の力わかやま

神倉神社の御神体
写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

立って登れないほど急な石段を登ると、山頂に熊野速玉神社の元宮であり「お燈まつり」で有名な神倉神社が祀られています。御神体は巨大な岩です。また、山頂からは新宮市内を一望することができるだけでなく、熊野灘をも一望することができます。春になると、新宮市内の風景と桜を絡めた写真などを撮ることができます。(2006.12.1)

・道の駅「なち」より車で約20分+徒歩約10分

神倉山(権現山)

神倉神社からの景色  写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

新宮出身の人々の生家や碑が並ぶ道筋情報提供:わかやまインターネット市民塾

新宮出身の人々の生家や碑が並ぶ道筋

佐藤春夫記念館から新宮城跡に向かう僅か1kmの道筋に、新宮出身の人々の生家や碑が並びます。ドクトル大石の名前で知られ自由主義を貫いた大石誠之助の屋敷跡(写真)、天体物理学の世界的な権威畑中武夫の生育の家跡、佐藤春夫生誕の碑及び生育の家跡があります。そして、新宮城跡には作家の与謝野 寛の碑、江戸千家の茶人川上不白の碑まであります。(2006.4.28)(写真追加:2011.7.25)

・道の駅「なち」より車で約25分

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