熊野川〜新宮

(国道168号-国道42号)

15. 佐野王子

熊野詣での旅人は、熊野本宮大社に苦労を重ねやっと参拝した後は、本宮から熊野川を船で下り熊野速玉大社にお参りしました。ここから再び陸路を歩き、王子ヶ浜にある浜王子に詣で、更に南に進み熊野那智大社へと向かいます。8kmほど歩いた那智山への中間点付近に佐野王子社がありました。
佐野王子は、熊野九十九王子社の一つで、熊野の御子神を祀っていました。そして、記録には1210年(承元4年)の修明門院参詣記に初めて出てきます。江戸時代には那智大社の末社として栄えました。境内の森は周囲約400mもあり、「若一(にゃくいち)王子の森」と呼ばれていました。現在の碑は王子橋の北約80mの位置にあり、説明板が立てられています。
碑の北側約10mには尼将軍の供養塔や地蔵群が、南側約40mには神武天皇聖蹟狭野顕彰碑があります。また、新宮港、三輪崎漁港、孔島・鈴島も近くです。(2008.1.10)

・道の駅「なち」より車で約10分

佐野王子跡説明板

佐野王子跡説明板

佐野王子跡の碑

佐野王子跡の碑

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住民お薦め!
耳より情報

三輪崎八幡神社情報提供:市民の力わかやま

JR三輪崎駅から西へ歩いて10分、国道42号線沿いに鳥居と社務所が、本殿は岡の上にあります。熊野灘沿岸では17世紀頃から捕鯨が盛んで、この八幡様が三輪崎の氏神様のようでした。江戸時代には何度も火事で焼失、安政2年(1685年)には地震と津波で流失しました。現状の神社は、明治末期、国家神道令により天皇系を主祭神とし、この地方に散在する無格社を合祀し、八幡神社としたものです。
毎年9月に執り行われる例大祭が有名です。神輿渡御神事が行われた後、山車や神輿が町内を練り歩きます。浜では、350年の伝統のある獅子舞や三輪崎クジラ踊りが披露されます。(2011.8.11)

・道の駅「なち」より車で約15分

三輪崎八幡神社鳥居と社務所

三輪崎八幡神社鳥居と社務所

三輪崎八幡神社本殿

三輪崎八幡神社本殿

新道道標情報提供:市民の力わかやま

三輪崎八幡神社鳥居と社務所

高野坂を三輪崎に下りてくると、こちら側にも「高野坂の案内板と道標」があります。さらに進んで民家の生活道路からJR三輪崎駅に向かって100mほど行った先の海岸側の道路脇に、石のローラーを利用した道標が見えます。近づいて見るとかなり大きなもので、明治17年(1884年)、高野坂に代わって今の国道42号に沿った新道ができた時の道しるべということです。(2010.3.2)

・道の駅「なち」より車で約15分

広角の一里塚跡と廣津野神社情報提供:市民の力わかやま

一里塚は、近世以降街道に一里毎に設けられたある種の里程標識で、写真のように塚に植えられた松など木々が木陰を作り旅人が休憩する場などになりました。熊野古道に沿って、この「広角(ひろつの・新宮市)の一里塚」から廣津野神社(高野坂への途中、少し山側に行ったところにある)、高野坂を越えて「佐野の一里塚」「佐野王子」、さらに「狗子の川(くじのかわ・那智勝浦町)の一里塚」を通って「浜宮王子」から熊野那智大社に向かうことになります。(2009.11.25)

・道の駅「なち」より車で約15分

広角の一理塚跡

広角の一理塚跡

廣津野神社

廣津野神社

高野坂情報提供:市民の力わかやま

高野坂

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

高野坂

高野坂は新宮市内に現存している熊野古道で、王子ヶ浜の南端(広角)から三輪崎に抜ける1時間余りの峠道です。王子ヶ浜や鈴島・孔島、太平洋が一望でき、林の中に石垣や苔むした石畳の道が残っています。新宮市街地に近いにもかかわらず、古道らしい趣のある素晴らしい熊野古道のコースです。是非、一度挑戦してみて下さい。(2009.8.5)

・道の駅「なち」より車で約20分

高野坂の石畳情報提供:市民の力わかやま

展望台からは太平洋がはるかに遠望されます。展望台から下り坂ですが、付近には畑があって里に近いことがわかります。この下り坂には、古道らしい苔むした石畳がよく残っています。草が生えたり土が流れていかないようにした、昔の“舗装道路”です。
展望台から約10分程で三輪崎からの登り口に到着します。(2009.9.13)

展望台から下り方面の眺望

展望台から下り方面の眺望

高野坂の石畳

高野坂の石畳

金光稲荷神社と展望台情報提供:市民の力わかやま

孫八地蔵から石垣を積んだ道を150mほど行くと、左手に金光稲荷社の大きな鳥居があります。鳥居をくぐって150m奥に祠が2つあります。神社の周りは森になっており、江戸時代にこの森を「おな神の森」と呼んだそうです。
鳥居を後に少し進むと展望台があります。このあたりに「聖護院宮の休憩所跡」があったといわれています。本山派山伏(天台宗系)を率いた京都の聖護院の宮が、大峯山から熊野三山を巡った時に休憩した場所です。(2009.9.10)

・道の駅「なち」より車で約20分+徒歩約10分

高野坂の道1

高野坂の道1

金光稲荷神社

金光稲荷神社

展望台

展望台

御手洗の念仏碑情報提供:市民の力わかやま

高野坂を上り始めて10分くらいで最初に林が切れ、王子ヶ浜の美しい海岸が見渡せる所に出ます。山側に三体の石碑が建っています。三体とも江戸時代の中頃に建てられたものです。真ん中が地蔵、左右の二体は「南無阿弥陀仏」の六字名号が彫られた板碑です。(2009.9.5)

・道の駅「なち」より車で約20分+徒歩数分

御手洗の念仏碑

御手洗の念仏碑

王子ヶ浜の美しい海岸

王子ヶ浜の美しい海岸

孫八地蔵と五輪塔情報提供:市民の力わかやま

高野坂の中ほどの山側に「孫八地蔵」と呼ばれるかわいい石の地蔵様が建てられています。文字が彫られていないので由来は不明ですが、後背が直線的なので江戸時代初期のものと思われます。この孫八地蔵から海側に延びる細い道を150mほど行った所「寿門山(じゅもんさん)」に、石組みの壇を築いた五輪塔が建っています。寛永5年(1628年)に建てられた「心鏡房海宝大徳」と名乗った僧侶のものといわれています。(2009.8.31)

・道の駅「なち」より車で約20分+徒歩約5分

孫八地蔵

孫八地蔵

五輪塔

五輪塔

三輪崎漁港足湯情報提供:市民の力わかやま

三輪崎漁港内に、2009年3月、三輪崎漁港交流施設が完成し、足湯、トイレ、更衣室、シャワー、温水シャワーが設置されています。
更衣室、シャワー、温水シャワーは、隣接する三輪崎海水浴場の開設期間のみの利用ですが、足湯は、毎日10:00〜16:00利用できます。
泉質は、含硫黄-ナトリウム-塩化物冷鉱泉で、少し褐色に濁っていて温泉らしいにおいがします。
漁港では、毎月第1日曜日に朝市が開かれ、新鮮な旬の海産物が販売されています。(2009.8.24)

・道の駅「なち」より車で約15分

三輪崎漁港交流施設(新宮市ホームページ)
かわいいイラストの看板

かわいいイラストの看板

褐色に濁っています。

褐色に濁っています。

三輪崎海水浴場情報提供:市民の力わかやま

三輪崎海水浴場

三輪崎漁港の北にあるビーチで、那智勝浦新宮道路も望めます。新設された三輪崎漁港交流施設の更衣室・トイレ・シャワーを利用できます。足湯もあるので、海水浴で冷えた体を優しく温めることができます。(2009.7.28)

場所 JR三輪崎駅から徒歩約5分
利用期間 9:00〜17:00
(7月上旬〜8月下旬)
駐車場 あり(無料)
距離 道の駅「なち」より車で約15分
その他の施設 更衣室・トイレ・シャワー(無料)
※ただし温水シャワーは有料
問合せ 0735-23−3333(内線280)(新宮市農林水産課)

神武天皇聖蹟狭野顕彰碑情報提供:市民の力わかやま

神武天皇聖蹟狭野顕彰碑

神武天皇東征の聖蹟を顕彰するために建てられた顕彰碑です。これらは、大分・福岡・広島・岡山・大阪・和歌山・奈良の府県に点在しています。聖蹟顕彰碑は、紀元二千六百年奉祝の事業として、「紀元二千六百年奉祝会」が文部省へ委嘱し、「神武天皇聖蹟調査委員会」による推考・答申にもとづいて、すでに明白であった橿原宮・竈山の聖蹟以外の地の計19個所の聖蹟が選定され、花崗岩製の同一規格・設計により建立されました。和歌山県には、和歌山市に男水門(をのみなと)顕彰碑・名草邑(なくさのむら)顕彰碑の2つ、新宮市にこの狭野(さぬ)顕彰碑と熊野神邑 (くまぬのかみのむら) 顕彰碑の計4つが存在します。(2009.7.27)

・道の駅「なち」より車で約10分

佐野の一里塚情報提供:市民の力わかやま

佐野の一里塚

一里塚は、近世以降街道に一里毎に設けられたある種の里程標識です。車馬の駄賃の目安にしたり、塚に植えられた松など木々が木陰を作り旅人が休憩する場などになりました。
全国的に現存しているものは少なく、この佐野の一里塚も国道42号線の拡幅・交差点の新設にともなって2003年に移設復元されたものです。道路の向側にも一基、対をなしていました。
熊野古道に沿って、この佐野の一里塚をはさんでそれぞれ一里の場所に広角(ひろつの・新宮市)の一里塚、狗子の川(くじのかわ・那智勝浦町)の一里塚が残っています。(2009.7.20)

・道の駅「なち」より車で約10分

尼将軍供養塔情報提供:市民の力わかやま

尼将軍供養塔

佐野王子の北側に、尼将軍(北条政子・源頼朝の妻)の供養塔が建っています。この塔は室町時代のものといわれています。政子と頼朝の二人の子、頼家が元久元年(1204年)に、続いて実朝が建保7年(1219年)に暗殺されました。政子は、この二人を供養するためにこの供養塔を建立したと伝えられています。
北条政子は実朝が暗殺された後は、京の摂関家から藤原頼経(当時2歳)を迎えて将軍とし、その後見として幕政の事実上の実権を握り、尼将軍と呼ばれました。そして承元2年(1208年)と建保6年(1218年)の二度、熊野参詣をしています。(2009.7.3)

・道の駅「なち」より車で約10分

孔島・鈴島情報提供:市民の力わかやま

孔島

写真提供:(公社) 和歌山県観光連盟

鈴島

三輪崎漁港沖の孔島(こじま)・鈴島は、現在は陸続きになっていて、釣り人たちでにぎわっています。
孔島は久嶋とも呼ばれ、ハマユウの群生のほか51科120余種の植物群落があります。 鈴島にも62種余の植物が群生しています。鈴島には遊歩道があり、港内の人工的な景色とはうってかわって波が打ちつける自然がそのままの姿でそこにあります。(2009.6.11)

・道の駅「なち」より車で約15分

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