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日曜日に「大阪南港魚釣り園」に行くと、聞けば釣りのノウハウを伝授してくれる人たちがいる。「公認釣りインストラクター」の資格を持つ |
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なるほど。「魚釣りの社会性」に考えが及び、周囲の環境に目が向き、
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戦争中、小学校2年の時に、母の実家のある泉南の鳥取ノ荘(現阪南市)に疎開し、海辺で土地の子たちと遊んだのが、そもそもの出合いです。
波打ち際に点在する石にびっしりとついている牡蠣の殻を割っておやつにしながら、まわし一丁で海に飛び込み、年上の子たちが決めたルールに従って泳ぎました。餌を付けた針を二の洲の砂底に仕掛けると、ネズミゴチやキスやベラが捕れました。
夏の終わりにはチヌも捕れたし、秋になるとハマチに追われて波に打ち上げられた銀色の小さなイワシを拾ったりも。青く底石がぴかぴか光る美しい海が広がっていました。その頃の思い出──大阪湾の原風景は、HP「茅渟(ちぬ)の海ふたたび」に詳述していますので、よかったらそちらをご覧ください。
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その後も、釣りを趣味にして来られたのですか。いえ。大阪市内で過ごした中学高校時代は海から離れていましたし、東京の大学に行ってからも遊びに忙しかった(笑)。ところが、大学2年の時、伊豆に旅行に行き、磯釣りを初めて見て、これは面白そうだと、足繁く伊豆に通うようになったんです。 大阪に戻って来たら、投げ釣りが全盛でした。大和川流域から出ていた渡船に乗って、防波堤へ釣りに行く日々・・。紀州方面の磯へもよく出かけ、そのうち新聞や釣り雑誌への寄稿などが生業になり、現在に至っています。 |
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