魚釣りは魚の命をもらうこと

“考えるところ”の根っこ? 詳しく教えてください。
▲釣りが出来る環境を守るには…

釣りは楽しい遊びです。でも、魚を釣るということは、魚の命を人間が取るということ。魚釣りは魚の命をもらって初めて成立する遊びだと、釣りをしていると多かれ少なかれ認識するようになるものなんです。

私も、そうでした。魚一匹を釣ることは食物連鎖の始まりだと。人が釣りという楽しみを得るために、自然はもちろん社会的な迷惑をかけていないだろうか、魚釣りに対して人はもう少し謙虚にならなければいけないのではないか、などと考えるわけです。

前後して、たいていの釣り人には、「なんでこのごろ釣れなくなったのだろう」と思う時がある。

海の中にいる魚と直接に接触するのが釣り人です。釣れなくなった原因に、自分たちの存在も関係してやしないかと考える。海から魚がいなくなったら、魚釣りという遊びは成立しないわけですし、「楽しみとしての釣り」だけを追求しているわけにはいかないと気づく。社会的な秩序に則って魚釣りをし、魚がいる海の環境も守っていかなければと考えるようになるのです。

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なるほど。「魚釣りの社会性」に考えが及び、周囲の環境に目が向き、
社会貢献を──となっていったのですね。
來田さんの、釣りの“個人史“をお聞きしたいです。
▲「茅渟の海ふたたび」より
 挿絵:© 河村立司さん(画家)

戦争中、小学校2年の時に、母の実家のある泉南の鳥取ノ荘(現阪南市)に疎開し、海辺で土地の子たちと遊んだのが、そもそもの出合いです。

波打ち際に点在する石にびっしりとついている牡蠣の殻を割っておやつにしながら、まわし一丁で海に飛び込み、年上の子たちが決めたルールに従って泳ぎました。餌を付けた針を二の洲の砂底に仕掛けると、ネズミゴチやキスやベラが捕れました。

夏の終わりにはチヌも捕れたし、秋になるとハマチに追われて波に打ち上げられた銀色の小さなイワシを拾ったりも。青く底石がぴかぴか光る美しい海が広がっていました。その頃の思い出──大阪湾の原風景は、HP「茅渟(ちぬ)の海ふたたび」に詳述していますので、よかったらそちらをご覧ください。

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その後も、釣りを趣味にして来られたのですか。

いえ。大阪市内で過ごした中学高校時代は海から離れていましたし、東京の大学に行ってからも遊びに忙しかった(笑)。ところが、大学2年の時、伊豆に旅行に行き、磯釣りを初めて見て、これは面白そうだと、足繁く伊豆に通うようになったんです。

大阪に戻って来たら、投げ釣りが全盛でした。大和川流域から出ていた渡船に乗って、防波堤へ釣りに行く日々・・。紀州方面の磯へもよく出かけ、そのうち新聞や釣り雑誌への寄稿などが生業になり、現在に至っています。

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