「茅渟(ちぬ)の海」再び・・

來田さんが「釣れなくなった」とお感じになったのはいつごろでしたか?

昭和40年代でしょうか。ちょうど高度経済成長期。大阪湾の埋立が進み、コンクリート護岸が増え、海辺の風景が激変すると共に、田畑には農薬が使われ、ゴミの質も量も変わってきていたころ。魚の産卵場が激減したばかりか餌,水温など魚をとりまくあらゆる環境が変わったから大阪湾の魚が減ったと、釣りを切り口に気づいたんですね。

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「美しい大阪湾」を取り戻さなければ、釣りができなくなると?

そう。何か行動できないかと思うようになった。大阪府にも話を聞いてもらい、白浜にある近大水産試験場にチヌを養殖して育ててくれるように掛け合って・・。まず24年前から、釣りクラブの集合体である (社)大阪府釣り団体協議会で、チヌの稚魚の放流を始めたんです。以来、水温のピークである8月末に、毎年2万匹放流しています。

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放流した稚魚が、大阪湾で育っているわけですね。

4年で成魚になるといわれますので、大阪湾にはチヌが確実に増えてきているはずです。

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かつて「茅渟(ちぬ)の海」といわれたかつての大阪湾よ、再び・・と、同じ思いの釣り人、多いのでしょう。
▲「茅渟の海ふたたび」より
 挿絵:© 河村立司さん(画家)

海を見るのが習慣の釣り人は、潮の流れ、水温、塩分、酸素、魚の量、護岸の形状、赤潮・青潮、有害廃液の投棄などいろんなことを間近に見ていますから。一本釣りがほとんどなくなって漁業が企業化するにつれてみんなで海を守るというか「協同」の精神が薄らいできたとも感じますよ。釣り人たちには海との密接な関係から、なんとかしなければの思いも大きいのです。釣り文化協会では、先日、西宮浜、貝塚人口島、深日港でゴミ集めとゴミの種類の調査も行いました。

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