「かけがえのないこの浜を次世代に残したい」
御前浜・香櫨園浜プロジェクト しなやかに稼働中〈1〉

砂浜が続く、兵庫県西宮市の御前浜(おまえはま) と香櫨園浜(こうろえんはま) は、大阪湾の湾奥部に残る自然海岸が1%に過ぎない中、貴重な存在だ。
かつて魚も獲れ、潮干狩りもでき、海水浴も楽しめたが、取り巻く環境の変化などにより、昨今は荒廃を免れなかったこの浜で、「もう一度美しい浜、人が遊べる浜に戻したい」と思っていた地域住民たちと、行政、大学生らがゆるやかに連帯した活動が繰り広げられている。
御前浜・香櫨園浜プロジェクト」(事業主体:兵庫県阪神南県民局県土整備部尼崎港管理事務所=通称あまかん)という、浜の再生を目指した、“ハード・ソフト一体型”の協働活動だ。その経緯と現状を取材した。

泳げる海を今いちど

 阪神香櫨園駅から夙川べりを南へ徒歩約10分。夙川の河口の東側に広がるのが御前浜(通称)、西側に広がるのが香櫨園浜(同)だ。すぐ前までマンションや戸建ての住宅がぎっしり並び、対岸には西宮浜が見え、浜辺には心地よい潮風が吹く。東側には国指定の史跡「西宮砲台(※1)」も建っている。

夙川河口部の両岸に広がる御前浜と香櫨園浜
右手に見える円錐形の建物が西宮砲台

 この辺りは、1907年(明治40)に海水浴場が開設されたのをはじめ、音楽堂などもある、かつての一大レジャー拠点だった。海水浴場は第2次大戦の間閉鎖したが、戦後いち早く再開され、賑わいを取り戻した。高度経済成長期にはプールや釣り堀ができ、風光明媚な遊び場だったという。

風光明媚な海水浴場だった頃の写真
(9/23の「砲台映画館」 の映像より)
モダンな音楽堂も建っていた
(同「砲台映画館」 の映像より)

 しかし、1980年代に人工島の南芦屋浜(現・潮芦屋)、西宮浜が次々と竣工(西宮浜は部分竣工)したのを機に、浜の景色が一変。利用する人たちのマナーも良いとは言い難く、近年は荒廃の一途をたどっていた。

 かつての浜を知る近隣の人たちが「美しい浜に戻したい」と願っても、個人の力では無理と諦めざるを得なかった。そんな折に、「あまかん」から「協働して、海辺環境の再生を図りませんか」との呼びかけがあり、近隣住民たちがこれに応じ、協働が始まったのだった。

 「浜を、庭のように育ちましたから、荒廃した近年の浜に心を痛めていたんです。海辺が、日常生活から遠いものになってしまった、と。正直、行政にはあまり期待していなかったのですが、再び泳げる海やきれいな浜を蘇らせたい一心で、参加してみたんです」と、近くに住む加藤一郎さんは言う。

 当初の多くの参加者の思いも、加藤さんと同様だった。
「子どもの頃、朝から晩まで浜で遊んだ」という思い出を持つ人、「夏は、会社から帰ると、御前浜でひと泳ぎするのが日課だった」という人もいれば、「山手から引っ越して来て、浜の風景に魅せられた」という人も、「子どもたちが気軽に遊びにいける浜にならないものか」と思っていた人もいた。多かったのは、自治会などの活動を通じて地元に目を向ける中、昨今の浜の様子に忸怩(じくじ)たる思いを抱いていた人たちだった。「大阪湾の自然環境は末期的やと感じています。その原因の一つは自分らも海や浜を汚したから。だから自分たちできれいな浜にもどさないと」。
 そこに、環境・建築デザインを勉強する神戸芸術工科大学の花田ゼミ・川北ゼミの学生たちも加わった。

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