ほっとかへんで!と活動4年目

「大阪湾見守りネット」

大阪湾を元気にするために、みんなで見守り、行動していこう──と、約90の団体や個人がつながるネットワークがある。その名も「大阪湾見守りネット」(事務局=地域計画建築研究所=アルパック。大阪市)。メンバーには、釣り人もいれば、ダイバーも、ゴミ拾いや生き物調査など自然保護活動をしている団体もいる。大阪湾を囲んで活動拠点もさまざまだ。共通するのは、「大阪湾を囲み、人々も大阪湾も元気にしたい」の熱い思いという。3月8日(土) に西宮市で開かれた「第4回ほっといたらあかんやん!大阪湾フォーラム」(主催:大阪湾見守りネット、国土交通省近畿地方整備局神戸港湾空港技術調査事務所) のレポートとともに、このネットワークを紹介しよう。

「第4回ほっといたらあかんやん!大阪湾フォーラム」 開催

 3月8日(土)、西宮市の御前浜・香櫨園浜、西宮浜産業交流会館などを会場に、「西宮で貝・会・海 (かい・かい・かい)」というユニークなタイトルの「第4回ほっといたらあかんやん!大阪湾フォーラム」(以下、「大阪湾フォーラム」と記す) が開かれた。

プログラムの一つ、御前浜での貝殻集め

 参加したのは、淡路島を含む大阪湾沿岸各地からやって来た約120人。午前中に、メンバー団体の一つ、地元の「御前浜・香櫨園浜プロジェクト」が同浜で実践してきた「子どもと海辺プロジェクト」の報告会、新西宮ヨットハーバーの見学会が行われた後、午後は、御前浜・香櫨園浜での貝殻集め、菊池貝類館の見学などを経て、「貝から学ぶ大阪湾の環境」フォーラムの開催となった。

 このフォーラムは、大阪湾見守りネット副代表で大阪市立自然史博物館の山西良平さんをファシリテーターに、同ネットのメンバー12人が大阪湾各地の貝についてリレートークを行う形式だった。

「貝から学ぶ大阪湾の環境」 フォーラム

 まず西宮貝類館の大谷洋子さんが地元で発見された「コウロエンカワヒバリガイ」など湾奥の貝を紹介、となりの神戸市立須磨海浜水族園の佐奈名川洋之さんは、須磨海岸に生息するさまざまなウミウシの特徴や生態を、パワーポイントを使って紹介。
 淀川汽水域の貝を調べてきた松村勲さんは「環境の変化により、貝の棲む場所は変わる。最近ミズホバツボを見つけ、この微小な貝類が安定して生活し、繁殖していることが分かった」、NPO法人南港ウェットランドグループの和田太一さんは「フドトヘタナリが40年ぶりに湾奥部の南港野鳥園の干潟で見つかった」、南大阪自然環境研究所の児島格さんは「関空が出来て海岸線が増えたため、貝も増えた」と報告した。貝塚市立自然遊学館の山田浩二さんは養浜されている二色の浜では他所の海底の貝殻がたくさん見つかる話題などを披露。泉南で育った田中正視さん(本ネットワーク代表)は男里川河口の貝自慢。大阪市立自然史博物館の石井久夫さんは化石で見つかる過去の大阪湾の貝を紹介。

貝殻付きの手作り帽子をバトンタッチしてリレートーク
会場の床に貼った大阪湾の大地図を指しながら貝の話が続く

 大阪府環境農林水産総合研究所の鍋島靖信さんは「温かい場所に生息する貝類が、温暖化の影響で大阪湾に増えてきている」、大阪湾の貝を59年にわたって「いじってきた(笑)」という岡村親一郎さんは「1995年からホソヤツメタ貝が増えた。樽井港でカキウラクチキレモドキを発見した。貝は白砂青松の浜より、変化のある海岸に多い。大阪湾は生きている。貝は語っている」と考察。淡路島から参加の川渕千尋さんはたくさんの貴重種が見つかっている成ヶ島のすばらしさを「大阪湾に浮かぶ宝島」としてアピール。12人の熱弁に、参加者たちは聞き入った。

「今後、我々の手で何ができるか」 と締めくくるファシリテーターの山西良平さん

 「淡路島が入口をふさいでいる大阪湾にはふたつの出入り口があること、川からの水は、9割以上が淀川水系、大和川などの湾奥から流入していることが大きな特徴。このような環境の多様性のおかげで貝から見ると、大阪湾はまだ大丈夫、ということでしょう。しかし、このまま放っておけない。我々の手で何が出来るか、今後も皆が考えていかなければ」と山西さんが締めくくった。

 その後、3年間、徳島から毎月御前浜に干潟の調査に通っているという徳島大学大学院生の大谷壮介さんが、「徳島の海岸には人がいないが、御前浜はいつ来ても多くの人がいる。今日、貝殻集めをしたときも、潮干狩りしている人や浜辺を庭のようにして遊んでいる人たちがいた。何が、人と海をつなぐのだろうか。貝も媒介の一つとして、人が来てこそ海辺だ。多くの人に大阪湾に親しんでもらいたい」との発言もあった。

山田洋三さん(右)作の「子どものために」「テトラポットの子守唄」を合唱

 最後に、自然の浜辺を次世代に残し、伝えたいとの思いで、西宮の学校の教員だった山田洋三さんが35年前に作詞作曲した「子どものために」「テトラポットの子守唄」を、参加者皆で合唱。6月21日にする予定の「大阪湾生物一斉調査」にご協力をと呼びかけがあった後、夕刻から交流会が開かれ、このフォーラムは幕を閉じた。

「大阪湾再生」 をミッションにネットワーク

 今回の「大阪湾フォーラム」は4回目だが、大阪湾見守りネットは、2005年2月に大阪市立自然史博物館(大阪市) で、大阪湾の沿岸域で活動する市民団体、民間企業などの紹介が行われた第1回の同フォーラム(フォーラム実行委員会と国土交通省近畿地方整備局の共催) をきっかけに設立された。一堂に会した140人余りの人たちが、「大阪湾再生」をミッションに、緩やかなネットワークをもつことにしたのである。

「ネットワークで大阪湾も我々も元気に」 と話す見守りネット代表の田中正視さん

 「それぞれの団体が、自分のやりたいことをテーマに、いろいろなベクトルで活動している中、ネットワークすることにより協力しあい、前につなげていけたら。そんな思いでした」
 と、代表の田中正視さん。たとえば、生物観察をしていたら、カニを食べに鳥がやって来ること、干潟の大切さ、自然保護の重要性、土地の歴史文化との関係性に気づく。あるいは一帯のゴミの散乱にも関心が募る。それらに取り組んでいる団体と交流できれば、干潟、自然保護について、またゴミ問題について、別の立脚点から生物を考えたり観察したりできる。専門家を呼んで、話を聞くこともできる。それは、生物観察の活動を深め、また、大阪湾全体を意識することにもつながるという。

 目指すのは、「魅力と活力のある、美しい大阪湾の再生」や「大阪湾を囲み、人々も大阪湾も元気になれるネットワーク」。設立以来、年1回ペースでフォーラムを開き、大阪湾再生に向けた取り組みをネットワークの内外にアピールするとともに、メーリングリストなどで大阪湾に関する調査や新たな取り組みの情報などを共有している。
 第2回大阪湾フォーラム(2006年2月) は、神戸市立須磨海浜水族園で「大阪湾まるごと水族館」として、水族園のバックヤードツアー、大阪湾の生き物についての情報交換など、第3回(2007年3月) は「チリモン!海もん!宝もん!」として、阪南2区の造成干潟見学、干潟再生のための調査結果報告などが、それぞれ大阪湾見守りネットのメンバーである地元の団体とのジョイントで行われた。その他、毎年の総会、2007年11月には帆船「あこがれ」による大阪湾上研修会も開かれ、皆で大阪湾の水質・流況などの実測体験をした。

 「まず、知り合いが広がることに大きな意味があります。個々に活動していた団体が、顔を合わせることによって、刺激し合う。大阪湾の環境の多様性、生物的自然のポテンシャルが高いことも認識でき、個々の活動の励みにもなります」と、山西良平さん。

「大阪湾のポテンシャルの高さの再認識を」 と副代表の山西良平さん
「TEAM魚っしょい」 が製作した貝殻の万華鏡

 今回のフォーラムに、「TEAM 魚(うお)っしょい」メンバーの三輪栄子さんは、二色浜などで採取した貝を使った自作の万華鏡を持って参加。「TEAM 魚っしょい」は海遊館(大阪市港区) のボランティアをきっかけに組織し、子どもたちに遊びの中で環境問題を考えるワークショプを開くグループだ。
「海が好き、魚も貝も好きでしたが、生体についてなど詳しくなかった。見守りネットで知り合った専門家に教えていただき、学べたので、知識が広がりました。万華鏡にも、貝の専門家からいただいたタカラ貝やアワビの赤ちゃんも入れ、子どもたちに、工作の楽しみに加えて貝についても説明しています。見守りネットがなかったら、できなかったことですね」

 今回のフォーラムで、参加者に「ご協力を」との呼びかけられた「大阪湾生き物一斉調査」は、大阪湾環境再生連絡会の取り組み。2007年11月の矢倉海岸(大阪市西淀川区) での試行調査を経て、2008年6月21日に大阪湾広域で実施されるにあたり、大阪湾見守りネットが協力する予定である。前述のとおり「大阪湾再生」をミッションとする同ネットは、行政と共働する姿勢だ。

 「行政に注文をつけるだけでは、前に進まない。どこにゴミが氾濫しているとか、どこの生物の生息環境が変わってきたとか、そういったそれぞれのフィールドで活動しているから得る情報を行政に伝え、じゃあどうすればよいかと提言する。見守りネットはそういった力を徐々につけてきています。撒いた種は必ず収穫できる。今後とも、我々に何が出来るかを模索し、『多くの人が海に近づけ、いろいろな思い出作りができる大阪湾』ずくりを目指していくつもりです」(田中さん)

 熱い思いと、ゆるやかなネットワーク。楽しみながらの活動。大阪湾見守りネットのさらなる取り組みに、内外から期待が寄せられている。

取材・文:井上理津子  写真:丸井隆人