平城宮跡歴史公園保存の経緯
長岡京への遷都のあと、田畑となった平城京。しかし、江戸時代末期からの調査研究やその後の地元民間有志の活動などを通じ、その保存整備が進められてきました。現在では、建物を復原したり、遺構を展示したり、さまざまな形で当時のようすを楽しむことができます。
復原された建物
-
朱雀門(H10、文化庁)
-
東院庭園(H12、文化庁)
-
第一次大極殿(H22、文化庁)
-
大極門(※)(R4.3、国土交通省)
平安時代
- ・平城上皇が平城遷都を計画するが失敗し50年あまり後には平城旧京の道路は耕されて田畑となる
江戸時代
- ・江戸時代の末、北浦定政により研究がおこなわれ、「平城宮大内裏跡坪割之図」などが完成する
明治時代~大正時代
- ・明治の終わり頃、関野貞、喜田貞吉などによる研究がおこなわれ、奈良時代の都の姿が次第に明らかにされる
- ・棚田嘉十郎や溝辺文四郎など地元の人々を中心に「平城宮址保存会」「奈良大極殿址保存会」が設立される
- ・大正11年(1922年)
平城宮第二次大極殿・朝堂院跡が史蹟に指定される
昭和時代
- ・昭和27年(1952年)
平城宮跡の一部が特別史跡に指定される(その後も順次追加指定) - ・昭和34年(1959年)
奈良文化財研究所による継続的な発掘調査が開始される - ・昭和36年(1961年)
木簡出土第1号
宮跡内での鉄道検車区建設計画が国民的世論により中止となる - ・昭和40年(1965年)
国道24号線バイパスの計画に伴う調査により平城宮の東側に張り出し部が発見される - ・昭和43年(1968年)
平城宮跡を保存するため、国道24号線バイパス計画を変更し東に迂回させる - ・昭和53年(1978年)
「平城宮跡保存整備基本構想」が策定される
その後の平城宮跡の保存整備はこの基本構想を指針として進められる
平成時代
- ・平成10年(1998年)
朱雀門、東院庭園の復原が完成する
平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産に登録される - ・平成13年(2001年)
第一次大極殿の復原工事に着手する - ・平成20年(2008年)
10月、平城宮跡を国営公園として整備することが閣議決定される
12月、国営平城宮跡歴史公園の整備・管理にかかる基本計画を策定する - ・平成21年(2009年)
国営公園事業の一環として第一次大極殿院広場を整備する - ・平成22年(2010年)
第一次大極殿の復原が完成する
平城遷都1300年祭が行われる - ・平成29年(2017年)
第一次大極殿院南門の復原工事に着手する
令和時代
- ・令和 4年(2022年)
第一次大極殿院南門の復原が完成する
門号を「大極門」(※)とする - ・令和 4年(2022年)
第一次大極殿院東楼の復原工事に着手する - ※第一次大極殿院の南側正門の門号として
日本や中国の宮跡等の事例研究から命名