九頭竜川流域誌


1.6 平安時代
1.6.1 越前の荘園

 平安時代になると東大寺の初期荘園のような原野を開墾する墾田型の荘園が姿を消し、在地の有力者が開墾した土地を中央の貴族や有力寺社に寄進して、その庇護のもとに荘官となる寄進地型の荘園に移行していく。
 越前では、春日社(興福寺)領の坂井郡河口荘(現金津・芦原・坂井町)・坪江荘(現金津・丸岡町)、大野郡の醍醐寺領牛ケ原荘(現大野市)、吉田郡の延暦寺領藤島荘(現福井市)、足羽郡の藤原摂関家領方上荘(現鯖江市)、丹生郡の妙法院領織田荘(現織田町)などの大荘園が誕生した。(※にっぽん再発見福井県 同朋社 p.76)
 河口荘は、康和2年(1100)に白河上皇から一切経料所として寄進され、ほとんどが九頭竜川と竹田川の河口付近に位置していた。
 牛ケ原荘は、応徳3年(1086)に東大寺僧忠範から醍醐寺円光院に寄進され、成立した荘園である。国衙との境界争いを半世紀間繰り返し、大野市街地の北半分以北の460町余りを有する大荘園に発達した。そして、一国平均役などの負担免除を認められ、免税権をもつ官省符荘として確立した。(※図説 福井県史 福井県 p.57)
 興福寺が大荘園を占定したのは、白河・後深草上皇で代表される皇室の春日社への崇拝もさることながら、平安時代に源頼光と並んで第一級の英雄とみなされ、北国武士団の始祖的な人物である藤原利仁の流れをくむ一族が、越前・加賀・能登・越中の各地で勢力を持ち、一族の繁栄を願って春日社を鎮守する興福寺のために土地を寄進し、あわせて在地豪族が大いに尽力したことによる。(※福井県の歴史 山川出版社 p.68〜69)

図1.4.3 平安時代末期の主な荘園(※図説福井県史p56)
図1.4.3 平安時代末期の主な荘園 (※図説福井県史 p.56)


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