九頭竜川流域誌


4.1.3 越前の自由民権運動

 明治7年(1874)の板垣退助、由利公正らによる民撰議院設立建白書提出に始まった自由民権運動は、明治10年(1877)の西南戦争を経て、言論の力によって国会開設、地租軽減、条約改正などを政府に求めてゆく運動となり、農民や商工業者を吸収して全国的に広がっていった。
 明治11年(1878)、再興愛国社大会に参加し民権社結成の使命を帯びて帰郷した杉田定一は、翌年、坂井郡波寄村の自宅を改造して在郷子弟の学習結社「自郷学舎」を設立し、やがてこれを基盤として民権社「自郷社」を結成した。
 杉田定一は、明治12年(1879)の愛国社大会を契機に展開された国会開設請願運動と一緒に、地主層だけではなく、士族層や商工業者にも働きかけた結果、7千人に及ぶ多くの国会開設願望同意者の署名を集めた。そして、全国的な自由民権運動が渦巻くなかで、政府は10年後の国会開設を公約することとなり、運動は政党結成の動きへと加速していった。杉田は、明治15年(1882)9月に南越自由党を結成した。
 明治23年(1890)、第一回衆議院議員選挙が行われ、福井県では杉田をはじめ4議席すべてを旧自由党の愛国公党議員が占める結果となった。



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