琵琶湖・淀川ふれあい紀行

湖北町は滋賀県の東北部に位置し、東には鈴鹿山系に連なる小谷山、山田山がそびえ、西には雄大な琵琶湖が広がる自然環境に恵まれた土地です。また、戦国大名浅井氏の居城、小谷城趾があることでも知られ、かつては北国街道と北国脇往還の要衝として栄えました。
しかし、その一方で冬季の積雪やこの地方ならではの晩秋のしぐれなどが見られ、人々は厳しい気象条件の下で農業を営み、独自の知恵を活かした食文化を育んできました。

滋賀県の食文化を象徴するフナずし。

湖北町を訪ねるまえに、滋賀県の食文化の特徴を滋賀大学教育学部の堀越昌子教授にうかがいました。堀越先生は、1991 年に発足した「滋賀の食事文化研究会」の代表を務め、会のメンバーとともに伝統食について調査・研究し、会報や出版物を通してその成果を発表しつづけています。

堀越昌子教授
「聞き書 滋賀の食事」の執筆陣のひとり、堀越昌子教授。

「滋賀の食文化を象徴するのは、やはりフナずしでしょう。琵琶湖で獲れた魚を塩と米を使って発酵させて保存する。フナだけでなく、ハスやウグイ、アユなど、あらゆる湖魚を漬けてなれずしにします。そこには琵琶湖の恵みを、一年を通して大切に食べようとする人々の知恵と想いが盛り込まれています」。

琵琶湖では冬でも魚が獲れますが、昔は、漁に出るのは主に春から夏にかけての産卵期でした。したがって、その間に獲れた魚をまず塩漬けし、土用の頃にご飯と合わせる。夏場に漬け込むことによってpHが一気に低下し、よく発酵することを人々は知っていたのです。そのようにして保存したフナずしを正月に口開けし、折々の食卓に上手に割り振って、たんぱく源として食べてきました。さらに、この”漬ける技術“は魚だけではなく、さまざまな農作物の加工にも発揮され、漬け物や多彩な郷土料理を生み出しました。

「今日でも大根がとれると、お正月に食べる沢庵と春先の沢庵、田植え時期の沢庵を、塩加減や干し方を変えて漬け分けます。食にも一年の計があり、年間を通じていかに過不足なく食物を確保するかということが主婦の才覚だったのです」。

地域色が際立つ滋賀の食文化

「このような伝統食をベースに、湖の東西南北で独自のカラーが残っているのも滋賀県の食文化の大きな特徴です。たとえば、湖西はサバのなれずしに代表されるように若狭の影響を受け、湖南は雑煮や祭礼に関する食事などに京都の文化を色濃く残しています。また、湖東や県の東南部では三重の影響が見られ、伊勢からもたらされた魚によるぶり文化や、茶どころとしての茶がゆ文化も広がっています。これらの地域色は、それぞれの気候風土に加え、琵琶湖の四方を通るいくつもの街道によって形成されたともいえます」。

それでは、今回の取材先である湖北町の食文化にはどのような特徴があるのでしょうか。 「北国街道によって北陸圏の積雪地帯の影響を大きく受けています。大豆の打ち豆やニシンのこうじ漬け、各種漬け物やそれらを使った煮物など。また、北湖で獲れるエビや魚を食材とした郷土料理も多彩です」。

湖国の街道
湖国の街道(『びわ湖周遊』藤岡謙二郎編 ナカニシヤによる)

「農村婦人の家」から広がる地域の交流。

今回、取材にご協力いただいたのは「湖北町農村婦人の家 赤谷荘」で伝統食に関する活動の世話役を務める肥田文子さんと、農村女性活動グループの役員のみなさんです。まず、「農村婦人の家」の成り立ちからお聞きしました。

「京の伝統野菜」38品目
農村女性活動グループのみなさん
右上 会長の脇坂佳代子さん
下 南部正子さん
左上 井筒弘子さん
下 相談役の肥田文子さん

「この館は、娯楽の少ない農村の女性たちが気軽に集い、情報交換や交流の場として利用できるように滋賀県と湖北町が昭和54年に開設したものです。ここはさまざまな活動の拠点となっていますが、とくに地域の農産物を使った料理を紹介する『地域農産物利用講座』は開館以来つづいている活動で、30〜70歳代まで幅広い世代の方々が参加する人気の催しです」。

大地と湖の恵みを活かした湖北の伝統食。

農村女性活動グループのみなさんに作っていただいた伝統食は4品。いずれも湖北地域の代表的な郷土料理です。

【たたみ漬け】

たたみ漬け白菜と壬生菜(本来は白菜の青い部分を使う)を交互に重ね、その間に塩(漬ける野菜の約3パーセント)をし、昆布とタカの爪を混ぜ合わせたものをはさみます。手で押して空気を抜き、水が上がるまでしっかりと重しを置くと4、5日で漬かります。ただし、寒い時期は1週間ほど漬け込みます。この地方では”なんかごと“と呼ばれる法事などの席にも出され、あらかじめ天候を予想し、食べ頃となるよう漬けられます。

【お講汁】

お講汁大振りに切ったかぶらを柔らかくなるまでだしで煮て、油揚げとねぎ、打ち豆(一晩、水に浸してから蒸した大豆を木づちなどでつぶしたもの)を加え、味噌で仕上げます。湖北町周辺では、毎年11月20日から12月初めにかけて浄土真宗のお寺で報恩講という行事が催されますが、その際にふるまわれる料理です。この地域の人たちは、家族連れで早朝から参詣し、このお講汁をいただくことを楽しみにしています。

【ぜいたく煮】

ぜいたく煮晩秋に漬けた沢庵を約1年後に取り出し、水でもどして塩気をとり、じゃこと昆布のだしで煮る。味付けはタカの爪と砂糖、しょう油、みりん、酒。沢庵は輪切りにして、半日から一日、水にもどして塩分を抜きますが、この地方ではこれを”けだし“と呼びます。漬け物としても食べられるのに、わざわざけだしをし、手を加えて調理することから”ぜいたく煮“と名付けられた郷土料理です。

【えび豆】

えび豆琵琶湖で獲れた筋えびと大豆の炊き合わせ。えびはひげの固さを取るために油でから煎りし、大豆は一晩水に浸けておきます。大豆を火にかけ、煮立ってきたらえびを入れ、砂糖、しょう油、みりん、酒で味を整えます。今でも、漁師さんがぴんぴん跳ねる新鮮なえびを売りに来るので、各家庭でもよく作られる家庭料理。えびを使うことから正月料理や祝宴にも供されます。

湖北の自然と伝統食を次代に。

約17年にわたって活動に携わってきた肥田さんは、これからの湖北の食文化について次のように語ってくれました。
「地域のみなさんといっしょに長年にわたって活動をつづけてきて、今ようやく伝統食が見直されるようになってきました。小学校などから出前講座の要望も多く、これからは若い人たちにもどんどん参加していただき、古くからの郷土料理や食に関する情報をより多くの人々に伝えていきたいと考えています。さらに、素晴らしい食文化を育んでくれた山里の自然や琵琶湖にいま一度感謝し、この豊かな環境が次代に引き継がれることを心から願います」。


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