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琵琶湖・淀川ふれあい紀行

賀茂なす、みず菜、壬生菜、鹿ヶ谷かぼちゃ、伏見とうがらし、えびいも、堀川ごぼうなど、京都で古くから作り続けられてきた野菜は、一般には京野菜と呼ばれ、近年、高級食材として注目を集めています。

ビワズ通信では、桂川にほど近い京都市南区久世で、当地の清涼な湧き水を使い、京ぜりの栽培を続ける山下さんの圃場を訪ね、せり作りと水に関するお話を中心にうかがいました。

「人」「土」「気候」「水」が生んだ京の野菜。

京都で野菜作りが発達した理由には、昔から新鮮な海産物が手に入りにくく、野菜中心の料理が確立されたことや宮中への献上品として各地から多彩な農作物がもたらされたことが挙げられます。また、自然環境においては、昼夜の気温差のはげしい盆地特有の気候や古くから栄えた都市部の有機廃棄物によって土地が肥沃であったことも大きな要因でした。さらに、京野菜の誕生に欠かすことができなかったのは、きれいで豊富な京都の水でした。多くの河川や豊かな地下水を擁し、きわめて上質の水を潤沢に使用できることが独自の野菜作りを発展させ、全国屈指の優秀な特産野菜をはぐくむこととなったのです。

鹿ヶ谷かぼちゃ
装飾用にも用いられる鹿ヶ谷かぼちゃ

古都の文化に根付く、京の野菜作り。

京の野菜作りの歴史は古く、万葉集にも記述がのこされています。

平安時代には都という一大消費地を背景に、いち早く近郊の農家で栽培が始まりました。とくに陰陽道や風水をもとにつくられた平安京においては、洛外の鬼から都を守るために多くの社寺が建てられ、そこに仕える人々に食物を供給するために、社家(社寺に縁の深い家)が野菜作りの一部を担いました。また、洛外の特定の地域で作られた野菜は邪気を追い払う力を秘めているといわれ、とくに珍重されました。

上賀茂神社の近くで栽培された賀茂なすやすぐき菜、安楽寺のかぼちゃ供養に用いられる鹿ヶ谷かぼちゃ、伏見生根神社に献上された九条ねぎなど、京の野菜は古都の文化と密接なつながりをもっていたのです。

すぐき菜
古くは上賀茂神社の社家によって栽培されたすぐき菜。

今日に受け継がれる「京の伝統野菜」38品目。

一般に京野菜といわれる京都の野菜ですが、京都府では古くから栽培されてきた品種をとくに「京の伝統野菜」とし、”明治以前の導入の歴史を有する“ことなどを定義にさだめ、生産振興を図っています。現在、「京の伝統野菜」は38品目あり、この中にはすでに絶滅した郡だいこんと東寺かぶも含まれています。

「京の伝統野菜」38品目

千年の時を超えて栽培される「京ぜり」。

京都のせり栽培の歴史は古く『続日本書紀』にも記され、千年を超える伝統を誇っています。また、江戸時代の学者、貝原益軒は『花譜、菜譜』という著書の中で、京都のすぐき菜、みず菜、せりは、とくに他の産地のものより優れ、それは京の水の良さによってもたらされると著しています。

かつては西七条が京都を代表するせりの生産地でした。京都駅の西にある安寧小学校の裏には、この辺りがせり栽培の中心地であったことを物語る「芹根水」の石碑が、今も残されています。しかし、昭和に入る頃より、七条一帯も急速に市街地が広がり、せりの生産地はさらに南へ

せりの苗
月から9月にかけて、水を張った苗場で育てられるせりの苗。

地下水だけで育てる「京ぜり」。

約35年前から久世の地でせりの栽培を続けておられる山下康弘さんご一家を訪ね、せりについてお話をうかがいました。

「久世のせり栽培は、西七条で作られていたせりの苗を使って40年ほど前からスタートしました。せり作りには年間を通して水温が15℃に一定した湧き水が不可欠ですが、久世は京都の中でも最も土地が低く、地下水に恵まれています。とくに、ここの水はミネラル分をたっぷりと含み、余分な鉄分もないことから” 細く、白く、長い“、京ぜりの特長を備えた上質のものが育つことでも知られています」。

手押しポンプ
いまも現役の補助用手押しポンプ。

山下さんのせり田では、前作の九条ねぎやなすびを栽培する際に入れる油かすなど以外には、肥料は一切使用せず、地下8メートルから汲み上げる地下水だけでせりを栽培しています。せりは、鮮度を保つために根付きで出荷されますが、昔は、せりの泥を落とす「洗い屋」という職業があったといいます。また、せりを洗う水も、金気があると作物が赤く変色するために栽培用の地下水を使用します。このようにせり作りには飲料水に匹敵するほどの水質と豊富な量の地下水が欠かせないのです

きれいな地下水
せり作りには水温が一定したきれいな地下水が欠かせない。

「京ぜり」作りの基本は、京の水を守ること。

3月に出荷を終えた山下さんの田では、今、せりの苗が育てられています。3月の彼岸から9月の彼岸までの間に苗を育て、大きくなったものをいったん苗場から抜くと、約1週間むしろを被せて発酵させます。やがて、葉や茎が腐り、軸の中からもやしのような新芽が現れます。それを水を張ったせり田に植えて栽培するのです。

山下さんご一家
親子2代にわたってせり作りに取り組む山下さんご一家。

「収穫期は10月から3月ですが、最初の刈り取りが終わると成育調整のためにローラーをかけます。こうするとせりが倒れ、その軸からふたたび新芽が出て、約40日後には出荷できる大きさに育ちます。このような調整を行うことによって長さや太さが均一のせりができるのです」。

山下さんが栽培したせりは、京都府やJAの認可を受け、”京ぜり“として袋に詰めて出荷されていますが、現在、このブランドネームを使用しているのは1軒だけ。それだけに京ぜり作りにかける山下さんの思いは人一倍です。

「京ぜりだけでなく、伏見の酒も、湯葉も、京友禅も、京都の文化はすべて水によって生み出されたものだと思います。これからも久世の水を使って、いつまでも京ぜりの栽培が続けられるよう、この水を守ることも私たちの大きな仕事だと考えています」。

おいしいせり料理

せりの苗京都では、せりは古くからかす汁や鍋料理には欠かせない野菜でした。さらに近年は、料理のバリエーションも増え、天ぷらやサラダ、キムチとの相性が良いことからキムチ鍋などにも利用されています。


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