大雨が降ると、みんなの暮らしはどうなるの?

治水・利水を目的に瀬田川に洗堰が築造されて今年で100年を迎えます。
現在も2代目となる瀬田川洗堰が、琵琶湖・淀川流域の暮らしを守るために、瀬田川の流量を調節し、琵琶湖の水位をコントロールしています。今号のビワズ通信では、上下流を襲った大洪水の記憶をたどるとともに治水事業の紹介や、つねに忘れてはならない災害への備えについて考えます。

大雨が降ると、みんなの暮らしはどうなるの?

今年9月、日本を襲った台風14号は多くの人命を奪い、各地に大きな被害をもたらし、宮崎県中部の南郷村では、降り始めからの雨量が1321ミリという記録的な豪雨となりました。さらに、海外からもハリケーンによる甚大な被害が伝えられました。このような自然災害は、私たちが暮らす琵琶湖・淀川流域でも過去に度々発生し、大きな爪痕を残しています。今号は、そのなかでも未曾有の大洪水といわれ、琵琶湖の水位が史上最高の+3・76メートルに達した明治29 年(1896)の水害の跡を訪ねました。

石柱
明治29年9月7日の水位を示す石柱。
(新旭町深溝)

幾代にもわたってしみついた洪水の怖さ。

石田さん
水の怖さと大切さを次代に伝えたいと語る石田さん。

高島市新旭町深溝に住む石田弘子さんは、町誌の編さんに携わるとともに、江戸時代に親から孫三代にわたって瀬田川の川ざらえを幕府に訴えた藤本太郎兵衛の功績を広く伝える活動を続けてこられました。

「明治38年に瀬田川洗堰が完成するまで、このあたりは大雨や長雨になると琵琶湖の水があふれ、安曇川が氾濫し、3年に1度の割合で大きな水害に見舞われてきました。低湿地帯である当地の農業は、洪水によって大きな打撃を受け、農民たちは長年にわたって苦しい生活を強いられてきました。一粒でも多くの米を作ろうと増水に備え、田を高うねにしたり、モッコとクワで湖岸に堤防を築いたり、村中が協力し合い、水害に立ち向かいました。まさにこの地で生まれ育った者は、過酷な水害の記憶が骨身にしみついているのです」。

浸水の跡が残る八田邸のふすまと現当主の八田正義さん。
浸水の跡が残る八田邸のふすまと現当主の八田正義さん。

槍のような雨が降り続いた明治29年の大水害。

琵琶湖・淀川流域を襲った明治29年の大洪水は、前線による7月下旬の大雨と8月30日、9月6日の相次ぐ台風の来襲で発生しました。琵琶湖周辺では記録的な豪雨があり、とくに彦根では9月3日からの10日間に年間降雨量の約半分に当たる1008ミリの雨が降り、湖の水位が+3・76メートルに達しました。新旭町一帯では、槍のような雨が降り続き、稲の葉先も見えないほど、あたり一面が湖水と化したといいます。石田さんの案内で、今も当地に残る洪水の跡を訪ねました。武田昭さんが住職を務める東本福寺の床下には大小さまざまな束柱が残っています。

「この寺は明治9〜12年にかけて建築され、当時の檀家の方々が苦しい生活をさらに切り詰め、ようやく寄進してくださったものです。ところが、明治29年の大洪水で流失の危機に見舞われ、その際、束柱が流されては一大事と、村人のみなさんがあり合わせの材木を持ち寄ったものが、今も本堂を支えています」。

大小の束柱
村人が持ち寄った東本福寺床下の大小の束柱。
なかには2本の材木を組み合わせた柱もある。

淀川右岸一帯にももたらされた洪水被害。

淀川流域では、前線の影響により同年7月19日から降り続いた大雨で、桧尾川の堤防が決壊。さらに追い討ちをかけるように上陸した2つの台風によって淀川や支川の水位が再び上昇し、島本、鳥飼などで堤防が次々に決壊。淀川右岸一帯は氾濫し、多くの家屋が浸水、道路などがいたるところで寸断されました。

図
当時の大阪朝日新聞には、淀川流域の被害状況を伝える地図が掲載された。
また、樟葉村などにおける被害の拡大を懸念する記事も記されている。

琵琶湖・淀川流域の暮らしを守る瀬田川洗堰。

淀川流域治水事業(枚方付近)
淀川流域治水事業(枚方付近)

琵琶湖周辺や淀川流域で、大昔から繰り返されてきた洪水を教訓に、現在まで数多くの治水事業を進めてきました。琵琶湖流域では長年にわたって水害に苦しんできた住民の念願であった瀬田川改修が行われ、また地盤の低い地域の浸水を軽減する湖岸堤や内水排除施設を整備しました。淀川流域では堤防の強化など水害の備えを行っています。

瀬田川洗堰は、台風などにより大雨に見舞われた時、琵琶湖と淀川の水位上昇のバランスを保ちながら放流調節を行うことにより、琵琶湖周辺に住む人々と下流の淀川流域に住む人々の生活を守っています。

琵琶湖・淀川の洪水と洗堰操作
クリックで拡大します。

「自分で守る」「みんなで守る」「地域で守る」。

治水事業による水害対策だけでは限界があり、個人や地域ぐるみで、災害に備えることも忘れてはなりません。河川管理者が公開している浸水想定区域図をチェックしたり、自治体が作成したハザードマップをもとに、家族で避難経路や集合場所を話し合うことは、非常時に大変役立ちます。また、日頃からの洪水への備えはもちろん、水防活動や隣近所の助け合いができる地域ならお年寄りや子供たちも安心して暮らせます。「自分で守る」「みんなで守る」「地域で守る」、この3つが連携することによって水害への防災体制は、より強固なものとなります。

琵琶湖浸水想定区域図

明治29年の大洪水を想定し、現在の浸水状況をシミュレーションした琵琶湖浸水想定区域図。
(全体表示するには上記図をクリックしてください PDF:1.6MB)
http://www.biwakokasen.go.jp/(琵琶湖河川事務所)

昭和28年9月(名張川流域は昭和34年9月)洪水時の2日間総雨量の2倍を想定した淀川流域浸水想定区域図。
http://www.yodogawa.kkr.mlit.go.jp/(淀川河川事務所)

いざという時のために。

非常持ち出し品は、できるだけ軽くまとめ、両手が自由になるリュックサックなどに入れておきましょう。

最低3日分の食料と水を用意。

家の周りで大きな被害がなくても、地域のどこかで電気やガス、水道、道路が寸断されると救援の手が届くまでに時間がかかります。 最低3日分の水と食料を確保しましょう。1人が1日に必要な水の目安は3リットルです。

緊急時のグッズ

琵琶湖への想いと水づくり。

水と人京都市上下水道局・水質管理センターの細田耕さんは、京都市民に供給する水道水をはじめ、その原水となる琵琶湖の水の安全性をチェックする、いわば水の番人です。より美味しい水づくりをめざし、日々仕事に取り組む細田さんに、水への想いを語っていただきました。

細田 耕さん
細田 耕さん

「私は、大学では光レーザー化学を専攻し、光合成のメカニズムを学んでいましたが、さらに環境についてより現実に近い分野で勉強したいと考え、大学院の人間環境学研究科へ進むことを決意しました。いくつかの研究室を見学し、琵琶湖の水の分析を行う水圏化学研究室を選択しましたが、その理由は、私自身が淀川流域の枚方で生まれ育ち、琵琶湖に親近感を持ち、同じ水を研究するなら身近な琵琶湖の水をという想いがあったからです」。

現在、細田さんは原水や水道水などに含まれるカビ臭物質やトリハロメタンの量を測定する業務を担当しています。

「毎年、初夏と秋口に琵琶湖で増加するアナベナという藍藻(らんそう)類が原因でカビ臭が発生します。とくに昨年は発生量が多く、浄水にも影響が出ました。私たちは、つねに琵琶湖の水質を注視していますが、COD(化学的酸素要求量)が増加傾向にあることが気がかりです。人口の増大がひとつの原因と考えられますが、ヨシ帯などの減少によって、琵琶湖の浄化システムが崩れていることも忘れてはなりません。私は、かつての環境をできるだけ取り戻し、自然本来の浄化力を高めることが琵琶湖にとっても、その水を利用する私たちにとっても最善の道と考えます」。

愛する琵琶湖の水を原水にして、細田さんの美味しい水づくりは、これからもさらに続きます。


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