魚とお米のおいしい関係!

今シーズンのビワズ通信は、さまざまな分野で始まっている環境保全への新たな動きを紹介しています。今号は、滋賀の地域性にこだわり、環境に配慮した近江の新しい米作りに注目し、太古から続く、水田と魚との深い関わりや、魚が泳ぐ昔ながらの田んぼのお米が、おいしい理由について取材しました。

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おいしさを天下に誇る近江米

今年の滋賀県産のお米は、梅雨明けから好天に恵まれ、害虫の発生も少なく、とくに良質のお米が収穫されました。すでに8月下旬には、「1等米」に格付けされた高島市今津町の新米約54トンの初出荷が行われました。

滋賀県の米作りの歴史は古く、近江米は、全国でも食味のよいお米として高い評価を受けています。

近江米が広く知られるようになったのは、平安時代に、隣接する京都が都として栄え、人口が増加したことにより、近江のお米が「登せ米(のぼせまい)」と呼ばれ、都へ大量に運ばれたことによります。これによって琵琶湖の湖上交通が発達し、大津の湖岸には諸大名の蔵屋敷が建ち並びました。

さらに、近江米の評価を高めたもうひとつの理由として、皇室との深い関わりが挙げられます。歴代天皇の御即位(ごそくい)の大礼(たいれい)に際し、献上(けんじょう)米を作る特別な田として、滋賀県内の高島、愛知、坂田、野洲、甲賀などの地域が、これまで40回以上にわたって選ばれています。神事とはいえ、実質的にはよりすぐれた産地が選ばれることから、近江米の品質の高さが古くから全国に認められていたことを物語っています。

お米と魚をもたらした琵琶湖周辺の水田

野洲川の近くで、ひとりの小学生が偶然に見つけた県内最大の服部(はっとり)遺跡。昭和49年から実施された発掘調査では、深さ約2.5メートルの地中から弥生時代前期の水田跡が発見されました。このことから、琵琶湖の周りでは、すでに弥生時代より水田での稲作が始まっていたことが分かります。また、服部遺跡から、さらに内陸の下之郷(しものごう)遺跡からは水田跡とともに、濠(ごう)(または堀)の中から魚を保存食として加工した残りかすと考えられるエラの骨や歯が、数多く見つかっています。弥生時代の水田は、まず、水を確保しやすい湖岸から開田が進み、やがて河川に沿うように内陸へと広がっていきました。そして、稲作に必要な水を引くための用水路や排水路が開削(かいさく)されると、それを伝って、琵琶湖の魚たちが水田へとのぼるようになりました。つまり、稲作のために設けた水路が琵琶湖の魚たちを水田へと誘導し、さらに、肥料の散布によって、エサとなるプランクトンが大量に発生した田んぼは、魚たちにとって産卵や稚魚(ちぎょ)の成育に格好の場所となったのです。そのため、下之郷遺跡で暮らしていた古代人は、遠い湖岸まで行くことなく、自分たちの田んぼや水路で琵琶湖の魚を手づかみしたり、簡単な道具でつかまえることができたのでしょう。かつて、琵琶湖岸では、梅雨が明けた雨の後、魚たちが大挙して産卵に押し寄せる姿が見られ、これをうおじま≠ニ呼んできました。

太古の人々にとって、フナやコイをはじめ、普段は琵琶湖の深いところに棲む大型の魚までもが、河川や水路を上って田んぼにやってくるこの季節は、貴重なタンパク源を得ることのできる年に一度の好機だったに違いありません。このように田んぼと琵琶湖の魚は深く結びつき、人々の暮らしは、それらによって支えられてきたのです。

服部遺跡の地中から出土した弥生時代の水田跡
服部遺跡の地中から出土した弥生時代の水田跡

魚の泳ぐ田んぼのお米はおいしい

昔ながらの、魚が遡上(そじょう)する田んぼで栽培されたお米は、自然の恵みをいっぱいに受け、おいしく育つといわれています。長年にわたって米作りを続ける農家の人たちも、魚が泳ぐ田んぼで収穫されたお米が、よりおいしいと経験的に語ります。実際に、お米を検査しても水分を多く含み、タンパク質も豊富で、糖分の高い、食味のよいお米であることが判明しています。

それでは、どうして魚が泳ぐ田んぼで育ったお米はおいしいのでしょうか。そのメカニズムについて琵琶湖博物館で魚類形態学の研究をされている理学博士の中島経夫にお聞きしました。

近江の原風景
緑ゆたかな田園は、太古から続く近江の原風景

魚のいる田んぼのお米がおいしい理由

田んぼでふ化した魚は、水田で発生したプランクトンなどの有機物を食べて成長します。そのため、田んぼに沈殿する有機物の量は減ります。

ゆりかご水田を泳ぐフナの姿
田植えの後のゆりかご水田を泳ぐフナの姿

一方、魚や水生昆虫などの生き物がいない田んぼでは、有機物が食べられないまま沈殿し、それらを分解するために土中の酸素が多く消費されることになります。

田んぼに水が張られた状態では新たに酸素が供給されにくく、土壌の酸素は減りつづけ、有機物の分解に土の中の鉄やマンガン酸化物、硝酸イオンなどの酸素が使われます。さらに硫酸(りゅうさん)イオンの酸素が消費されると硫化水素(りゅうかすいそ)が出て、ドブ川のような異臭を放ったり、地球温暖化の原因となるメタンガスが発生してしまいます。すなわち、有機物の沈殿が少ない魚のいる田んぼでは、土中の酸素が保たれ、酸化層という酸素をたっぷり含んだ土壌が厚く形成されます。酸化層では、土中のリンと鉄がひとつになって、水などに溶け出しにくいリンが作り出されます。この性質をもったリンは、栄養分となってしっかりと土の中に蓄えられ、稲の生育を促し、食味ゆたかなお米を作る天然の肥料となるのです。この仕組みは、琵琶湖博物館の研究プロジェクトで、首都大学東京の福澤仁之教授が明らかにし、学会で発表されました。現在は実験データをもとに、福澤教授らによって立証が進められています。

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環境に配慮し、地域性にこだわった米作り

太古から続く近江の米作りは、琵琶湖がもたらす自然のサイクルの中で大きな連鎖を形づくってきました。魚たちの産卵や成育の場となる田んぼでは、近江ならではの食味豊かな米が栽培され、水田と魚と人の密接な関係が息づいていました。

現在、滋賀県の各地では、新しい取り組みとして、昔ながらの田んぼをめざし、農薬や化学肥料をできるだけ使わない環境こだわり米≠竅A魚の泳ぐ水田で栽培する魚のゆりかご水田米≠ネどの米作りが始まっています。これらのお米は、環境への関心の高まりとともに、ブランド米として注目を集め、滋賀県はもとより、全国各地に向け、出荷されています。

図農薬や化学肥料の使用を通常の半分以下とし、琵琶湖をはじめとする環境にやさしい技術で栽培された「環境こだわり米」

◎農法や取り組みに関するお問い合わせ
“魚のゆりかご水田米”・・・「農村振興課」電話077-528-3960
“環境こだわり米”・・・「環境こだわり農業課」電話077-528-3890
◎取材協力:滋賀県立琵琶湖博物館

瀬田川を往く一番丸が、川と人との絆を育む

水と人今回は、明治2年に琵琶湖に初めて就航した蒸気船一番丸を復元したレークウエスト観光株式会社の仲野晋取締役社長にお話をうかがいました。

仲野 晋さん
仲野 晋(なかの・すすむ)さん

「私どもは、旅客船の運航と並行し、室町時代から続く船屋杢兵衛(もくべえ)の屋号を継ぐ造船会社として船作りを続けています。一番丸の復元にあたっては、造船技術の維持とともに、琵琶湖に1隻でも多くの船を浮かべたいという想いから着手し、平成7年に実現することができました。当初は海津大崎の桜見物をはじめ、お客さまのご要望に応えるチャーター中心の業務でしたが、平成16年に瀬田川リバークルーズを試験的に実施したことをきっかけに、定期航行をスタートしました」。

一番丸
一番丸

舟遊びの発祥の地として、かつてはたくさんの舟が行き交った瀬田川ににぎわいを取り戻し地域を活性したいと願うNPO法人「石山名月の会」との出会いで、平成16年9月から3ヶ月の試験航行が行われました。

「初めてリバークルーズを実施した時の反響は予想を超える大きなものでした。とくに、地元の方々からは瀬田川に船が帰ってきたという喜びの声が寄せられ、さまざまな船が行き交うかつての風景を知らない若い世代にも、レトロな外観は好評でした」。

これを受けて翌年からは本格的に運航を開始。春は瀬田川の桜並木、秋には石山寺の紅葉を船上から見ようとたくさんの観光客でにぎわいます。

「リバークルーズを契機に、教育機関や市民団体などからも問い合わせが相次ぎ、定期運航以外でも社会見学や環境学習など、新たな活用が広がっています。現在、(石山寺港)を拠点に、(瀬田の唐橋港)、(南郷アクア琵琶港)間を航行していますが、これらを結び、地域全体の活性化に貢献できることは、一番丸にとっても大きな栄誉であることを実感しています」。


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