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円山川の歴史
水害年表

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記録に残っている江戸時代の水害

※年表の注意:記録によって、きちんと数字がのこっているものや、おおまかに書いたものなど、いろんな書き方があります。くわしく書かれていないから大きな被害ではなかった、とは言えません。

天正1年(1573)3月 円山川・六方川が氾濫、豊岡東部で大洪水、六方平野の収穫皆無で農民困窮。城崎では大きな家がならぶ商業のまち「灘千軒(なだせんげん)」が一夜ですべて流された
天正2年(1574) 多くの川ではんらん
慶長11年(1606)6月 多くの家が流された(天児の家、高柳の家流される)
慶長13年(1608)4月 広い地域で洪水(近畿諸国に風雨洪水)
慶長15年(1610) 大洪水で円山川の流れが変わった(もとは竹田城の下を流れていた)
寛文12年(1672)7月

大雨で洪水、農作物が育たなかった

延宝1年(1673)5月 大雨で洪水
延宝2年(1674)8月 広い地域で大洪水(翌年春に多くの人が飢え死にした)
延宝3年(1675) 洪水 八鹿村で家15軒が流された
延宝7年(1679)5月 洪水
延宝8年(1680)5月26日~6月7日 3回洪水
延宝8年(1680)10月 大雪で麦がほとんどくさった
天和1年(1681) 数回洪水があった。農作物が育たなかった
貞享3年(1686)7月 大風雨、洪水で農作物が育たなかった
貞享3年(1686)9月 八鹿村で家1軒が流された
元禄8年(1697) 数回洪水があった。農作物が育たなかった
元禄9年(1698) 全国にききん
元禄14年(1701)8月 大風雨
享保7年(1722)6月 洪水 家150軒がこわされ、22軒が流された。死者8人
享保14年(1729) 洪水 被害多かった
享保16年(1731) 何回も洪水があった
延享3年(1746)8月 大風雨 家385軒がこわされ、死者2人
寛延1年(1748)6月 大風雨 出石で洪水
寛延1年(1748)9月 大風雨 出石で家106軒がこわされ、死者8人
寬延2年(1749)7月 但馬、丹後、播磨で大風雨により洪水、死者1000人以上
豊岡では家138軒がこわされ、死者2人
出石でも大洪水で田畑がぜんめつ。死者3人、牛2頭が死んだ
寛延3年(1750)6月 大雨、洪水で家11軒が流され、43軒がこわされた。死者2人
寛延3年(1750)7月 伊佐村(八鹿町)で3尺(90cm)水につかった
宝暦6年(1756)9月 風雨、洪水で出石で家4軒がこわされた
宝暦7年(1757)8月 大風雨、洪水で死者3人、牛2頭が死んだ
宝暦8年(1758)8月 大雨、洪水
宝暦9年(1759)7月 洪水
宝暦12年(1762)秋

大洪水 多くの村で大きな被害があった
出石で洪水が2回あり、家28軒がこわされた。68の橋が流された。死者10人

明和5年(1768)7月 四国、近畿に大風雨、洪水(翌年農作物はほとんどしゅうかくできなかった)
安永1年(1772)8月 伊佐村(八鹿)洪水、秋にも大洪水
安永2年(1773) 疫病流行、円山川は5月から洪水13回
安永5年(1776)7月 円山川大洪水 ほかの川も増水。豊岡城の外堀でもある和久田堤がくずれそうになったが、農民が土のう積みを行って防いだ
安永9年(1780)

春先から但馬に冷たい雨が降りつづく。稲の植え付けができなかった

5月大洪水、奈佐川の堤防がくずれた
天明3年(1783) 6月から9月、日本の多くの地方で霜雨。大ききん
天明4年(1784) 水害、ききん、漁獲少なかった
天明6年(1786)8月

出石洪水のため大橋一丈(3m)まで水が上がった

※全国的な天明のききんのなかでも、もっともひどかった

寛政1年(1789)6月 大洪水 大きな被害があった
寛政2年(1790)8月 大洪水
寛政7年(1795)閏8月 大洪水 豊岡の町中の家が床上まで水につかった
寛政8年(1796)4月 但馬地方に暴雨風 家がこわされ、死者もでた
享和2年(1802) 多くの地方で洪水
文化1年(1804)7月 大雨 豊岡城下の北の守り・和久田堤防がくずれた。稲も大半が流された
文化4年(1807)8月~9月 洪水20回
文化4年(1807)10月 出石城下洪水
文化5年(1808)6月 出石大風洪水 251の橋が流され、家70軒がこわされた。農作物のしゅうかくが少なかった
文化8年(1811)5月 大風雨 洪水
文化9年(1812)7月 洪水 野田の堤防(縄手)がくずれた(切れた)
文化9年(1812)8月 大雨 洪水
文化11年(1814) 全国にききん
文化13年(1816) 8月に2回(8月と閏8月)出石領内洪水 家55軒が流された。出石で135の橋が流され、死者1人
文政2年(1819)5月 大雨 洪水 死者1人
文政7年(1824)2月 大雨 洪水
文政8年(1825)8月 10年来の大洪水 田畑すべてが水につかった
天保1年(1830)8月 洪水
天保6年(1835)5月 大雨洪水 和久田堤防がくずれた。農作物が実らず諸国大ききん
天保7年(1836) 洪水
天保8年(1837) 「とり年の大水」宿南(八鹿町)に洪水。諸国大ききん
弘化3年(1846)3月 洪水 農作物のしゅうかくが少なく、翌47年大ききん
嘉永1年(1848) 洪水
嘉永3年(1850)9月 大洪水 出石は3.6m水につかった。出石城がこわされた。多くの家と出石のほとんどの橋が流され、田畑の被害もものすごく大きかった。豊岡と出石、日高で死者37人(「今までにない大水害」と記録あり)
嘉永5~6年(1852~3) 洪水 不作つづく
安政1年(1854)11月 夜大暴風雨
安政2年(1855) 数回の洪水
万延1年(1860) 洪水
元治1年(1864)8月 大洪水 ものすごく多くの家が水につかった
元治1年(1864)12月 大雨 円山川の水位約5m。堤防がくずれそうになった
元治2年(1865)8月 大洪水 円山川の水位7~8m。あちこちで堤防がくずれて、豊岡盆地は湖のようになった。多くの家が流され、3000戸以上が水につかった
慶応2年1866年8月 「寅年の大洪水」堤防がくずれた。多くの家が流され、出石川の周辺は1週間水につかった

記録に残っている明治時代の水害

※年表の注意:記録によって、きちんと数字がのこっているものや、おおまかに書いたものなど、いろんな書き方があります。くわしく書かれていないから大きな被害ではなかった、とは言えません。

明治3年(1870)9月 大風雨により夜中に洪水(18日)
明治4年(1871)5月 洪水 農作物のしゅうかくのうち4割が被害を受けた
明治18年(1885) 大洪水 慶応2年の水害よりもひどかった
明治25年(1892) 洪水
明治26年(1893) 洪水
明治27年(1894) 洪水
明治28年(1895) 洪水
明治29年(1896) 大洪水 大きな被害
明治30年(1897) 洪水
明治31年(1898) 洪水
明治32年(1899) 洪水
明治33年(1900) 洪水
明治35年(1902) 洪水
明治36年(1903) 洪水
明治37年(1904) 洪水
明治38年(1905) 洪水
明治40年(1907)8月

台風 3万戸被害

明治41年(1908) 洪水
明治43年(1910) 洪水
明治44年(1911) 洪水

記録に残っている大正時代の水害

※年表の注意:記録によって、きちんと数字がのこっているものや、おおまかに書いたものなど、いろんな書き方があります。くわしく書かれていないから大きな被害ではなかった、とは言えません。

大正1年(1912)9月 台風 大洪水 家610戸がこわされた。死傷者29人
大正2年(1913) 洪水
大正4年(1915) 洪水
大正5年(1916) 洪水
大正6年(1917) 洪水 出石で死者2人
大正7年(1918) 洪水 出石で堤防がくずれ128戸が水につかった。2つの橋が流された。死傷者34人
大正8年(1919) 出石で洪水
大正10年(1921)

大洪水 但馬全体で3000haが水につかった。約6m(20尺)の高さまで水につかったところもあった

大正14年(1925) 北但大震災

昭和時代の水害

※年表の注意:記録によって、きちんと数字がのこっているものや、おおまかに書いたものなど、いろんな書き方があります。くわしく書かれていないから大きな被害ではなかった、とは言えません。

昭和2年(1927)3月 北丹後烈震 橋がくずれた
昭和4年(1929)8月 豪雨 城崎で13戸の家が一部こわされた
昭和5年(1930)8月 豪雨 出石で堤防がくずれ、まちが水につかった。道路もくずれ、6つの橋が流された
昭和9(1934)年1月 豪雪 死者24人
昭和9年(1934) 室戸台風 城崎で家が200戸こわされ、3000戸が水につかった
昭和11年(1936)7月 八鹿で八木川から水があふれた。死者1人
昭和13年(1938)9月 洪水 養父で家70戸がこわされ、500戸が水につかった。死傷者5人
昭和17年(1942)9月 洪水 出石で家22戸が流された
昭和20年(1945)9月 枕崎台風 但馬地方中心に死者19人
昭和20年(1945)10月 阿久根台風 但馬地方と播磨中心に死傷者35人
昭和25年(1950)9月 ジェーン台風 兵庫県の死者41人
昭和26年(1951)10月 ルース台風 風台風で家や道路(公共土木施設)などがこわされた
昭和28年(1953)6月 台風2号 和田山と養父で死者2人
昭和28年(1953)7月 豪雨 多くの家が水につかった
昭和28年(1953)9月 台風13号 城崎で大きな被害があった
昭和29年(1954)9月 台風15号 兵庫県で死者7人
昭和32年(1957)6月 台風5号
昭和34年(1959)9月 伊勢湾台風 16ha、約17000戸の家が水につかった
昭和36年(1961)9月 第二室戸台風 2.3ha、約2000戸の家が水につかった
昭和39年(1964)7月 豪雨
昭和40年(1965)7月 豪雨
昭和40年(1965)9月 台風23号・秋雨前線・台風24号 約7800戸の家が水につかった
昭和41年(1966) 台風24号 城崎町で家84戸が水につかった
昭和44年(1969)6月 豪雨
昭和45年(1970)6月 豪雨
昭和45年(1970)8月 台風9号
昭和46年(1971)8月 台風23号
昭和46年(1971)9月 大雨と異常潮位
昭和47年(1972)7月 梅雨前線と台風6号 7.7ha、約750戸の家が水につかった
昭和47年(1972)9月 台風20号
昭和49年(1974)9月 台風18号
昭和51年(1976)9月 台風17号と秋雨前線 2.1ha、約3000戸の家が水につかった
昭和52年(1977)7月 豪雨 和田山で床下浸水
昭和52年(1977)11月 大雨
昭和53年(1978)9月 台風18号 家々が水につかった
昭和54年(1979)10月

台風20号 円山川の水位が6.74mまであがり、約1000戸の家が水につかった

昭和55年(1980)10月

強風波浪と異常潮位 家々が水につかった

昭和56年(1981)10月 大雨 生野などで家々が水につかった
昭和57年(1982)8月 台風10号 家々が水につかった。 兵庫県で死者2人
昭和58年(1983)9月 台風10号
昭和61年(1986)7月 大雨
昭和62年(1987)10月 台風19号
昭和63年(1988)8月 大雨
昭和63年(1988)9月 大雨 家々が水につかった

平成の水害

※年表の注意:記録によって、きちんと数字がのこっているものや、おおまかに書いたものなど、いろんな書き方があります。くわしく書かれていないから大きな被害ではなかった、とは言えません。

平成2年(1990)9月 台風19号 約2ha、家約2500戸が水につかった
平成2年(1990)11月 台風28号 出石で道路がこわされた
平成3年(1991)9月 台風19号 田畑や港に被害
平成16年(2004)10月 台風23号 約4083ha、家 約8000戸が水につかり、4000軒以上がこわされた。死者5人、負傷者51人
平成21年(2009)8月 台風9号 346ha、家77戸が水につかった
平成25年(2013)9月 台風18号 17.5ha、1戸が水につかった
国土交通省
国土交通省近畿地方整備局 豊岡河川国道事務所(法人番号 1234567890123 )
〒668-0025 兵庫県豊岡市幸町10-3  代表(0796)22-3126

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