淀川河川事務所

昭和25年(1950年)ジェーン台風 詳細解説

天気概況

昭和25年8月27日、硫黄島東方海上に発生した弱い低気圧は、30日に硫黄島南西方200kmの海上に達してから発達し始め、熱帯性低気圧ジェーンと命名されました。その後発達しながら北西に進み、2日午後4時には高知の南方550kmの海上に到達する頃には、中心気圧940mbに降下、中心付近の最大風速は毎秒55mに達していました。そして高知の南方230kmの海上に達した頃から進路を北北東に変え、3日午前8時45分には室戸岬沖を通過、正午には淡路島南端を通り、午後1時15分には神戸付近に上陸。その後兵庫県東部を横断して午後2時45分に若狭湾に入りました。

淀川の洪水・決壊状況

ジェーン台風は大阪湾沿岸に大きな高潮を引き起こしました。大阪湾に入った台風は勢力を弱めず、湾内に台風を中心とする大きな強制振動を起こしました。さらに、当日の満潮は12時5分で、台風の大阪湾通過時刻とほぼ一致したこと、大阪・尼崎方面では、室戸台風(昭和9年)の時より、70cmほど地盤沈下していたことなどが原因で、高潮による被害が大きくなったのです。この時の大阪港での最高潮位はO.P.上4.37m、異常潮位2.37mに達し、室戸台風(昭和9年)時のO.P.上5.10m、異常潮位3.9mに次ぐ記録となりました。淀川ではこの高潮により、主に国鉄下淀橋梁から下流の間で被害があり、大阪府内で179カ所の堤防が決壊しています。

高潮による被害

大阪港沿岸の浸水区域は、豊中市、尼崎市、東淀川区、西淀川区、大淀区、旭区、都島区、北区、此花区、港区、東区、西区、南区、東成区、天王寺区、浪速区、西成区、大正区、阿倍野区、住吉区、東住吉区の広範囲にわたっています。また大阪府では、全壊家屋が16戸、半壊家屋60,708戸、流失家屋1,017戸、浸水家屋は271,738戸に達しました。また、102の橋が流失し、道路は212カ所にわたって破損、死者240人、傷者21,215人、行方不明者16人、計21,471人の罹災者を記録する大災害となりました。
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