淀川河川事務所

昭和36年(1961年)第二室戸台風 詳細解説

天気概況

昭和36年9月14日、沖縄南方約300kmの海上で北西から北に進路を転じた台風は、翌15日の早朝には沖縄のすぐ東方海上でさらに北東に向きを変え、本土を直撃する態勢に入りました。そして16日早朝には九州の南方約100kmの海上から一路北東進し、室戸岬、淡路島、大阪湾、若狭湾、能登半島の進路をたどり北方に去ります。  
この第二室戸台風は、その最盛期において中心気圧885mb、最大風速は70m/sec、暴風半径は330kmという強大な勢力をもち、過去の台風災害の最大記録といわれる伊勢湾台風(昭和34年9月26日)などに匹敵する規模をもっていました。

淀川の洪水・決壊状況

第二室戸台風は、大阪湾沿岸に高潮をもたらす台風の典型的な進路をたどりました。大阪湾における最高潮位はO.P.+4.12m(千舟橋検潮所の自記記録)、最大偏差は2.41mで、潮位では室戸台風(昭和9年)に次ぎ、偏差ではジェーン台風にほぼ等しい値を示しています。  
この高潮によって、淀川本川の堤防は破堤しなかったものの、淀川を遡上する高潮を波浪のために、十三大橋より下流の左右岸総延長約15kmのうち約5.3kmにわたり、表法は激しい破壊を受けました。特に左岸の計画湖水伊以上の長芝破覆はほとんど崩壊し、激しいところでは天端幅のおよそ1/3を削りとられ、破堤寸前の状態となりました。また、護岸のある部分もブロック護岸は大きく破壊され、これに反して右岸の伝法大橋下流部では高潮対策の完成した部分に被害はありませんでした。

高潮による被害

第二室戸台風の高潮により、西大阪および和歌山の海岸では大きな被害を受けました。西大阪の浸水地域は、福島区、西区、港区の大部分、西淀川区、此花区、大淀区、北区、大正区、浪速区の一部におよび、床上浸水56,000戸、床下浸水60,000戸、被災者は26万人にも及びました。このうち西淀川の神崎川、大野川、西島川に囲まれた大和田地区は特に浸水が激しく、西島川の左岸提の一部が破堤したことによるものです。  
また、福島区、西区および北区中之島、堂島地区はジェーン台風や室戸台風の時より浸水の被害が大きく、これは地盤沈下がこの地区に波及していたことによるものです。しかしその他の地域では被害が小さくなっており、特に大正区、此花区の大部分、西淀川区大野川以南では一部の越波、漏水等のほか高潮を防ぐことができ、これはジェーン台風後につくられた防波堤が功を奏した結果でした。
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