1932年(昭和7年)7月、大雨で活性化した地すべりで甲子園(こうしえん)球場の20倍もの広さの土がすべり落ちたため、大和川は完全にせき止められ、上流はダム湖のようになりました。 現在の大和川の流れは、このときに左岸(さがん)の明神山(みょうじんざん)をけずり取って新しく作ったものです。