淀川河川事務所

毛馬排水機場周辺の施設

⑥沖野忠雄の胸像

沖野忠雄(おきのただお)は、淀川改良工事に尽力した土木技師です。 安政元(1854)年、但馬(現在の豊岡市)に生まれ、東京大学の前身である大学南校に入学後、フランスへ留学して土木学を学びました。 帰国後は内務省※に入り日本各地で河川治水(かせんちすい)に携わり、日本全国のほとんどの河川と港の改修工事に携わったと言われています。 沖野忠雄氏の工事の手法は、当時としては、先進的かつ合理的な手法であり、フランスやドイツの工事用機械を日本に大量に輸入し、使用したことが特徴です。 本胸像は、昭和10(1935)年に、後輩たちにより建てられた後、戦争で供出※(きょうしゅつ)されましたが、昭和54(1979)年に再建されました。
※内務省:明治6(1873)年に設置された警察・地方行政などを統括した中央官庁のこと。第二次世界大戦後の昭和22(1947)年に廃止された。
※供出:政府などの要請に応じて物資などを差し出すこと。
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